はじめに , キャスティングと人物相関図 , 連載時期について , #01 早川松夫の話 , #02 丸井牧子の話 , #03 浅井雪子の話 , #04 渡瀬義雄の話 , #05 渡瀬小静の話 , #06 里野夫人の話 , #07 大内三郎の話 , #08 沢山夫人の話 , #09 沢山栄次の話 , #10 林梨江の話 , #11 伊藤弁護士の話 , #12 富本宮子の話 , #13 菅原ふみの話 , #14 富本寛一の話 , #15 烏丸瑤子の話 , #16 レイディズ・ソサイエティの事務員の話 , #17 瀬川大介の妻の話 , #18 宝石職人の話 , #19 北村院長の話 , #20 銀座のバアのマダムの話 , #21 鈴木タネの話 , #22 テレビ・プロデューサーの話 , #23 小島誠の話 , #24 長男義彦の話 , #25 尾藤輝彦の話 , #26 宝来病院元婦長の話 , #27 次男義輝の話 , まとめ 富小路公子の行動
ポイントとなる証言
ページ(文庫) | 証言 | 解説 |
464 | だけど一つだけ、絶対あれはあの女がやったことだと思うよ。ママが死んだあと、いろんな週刊誌が、あることないこと書いたでしょう?そのとき、田園調布の米屋も肉屋も、口を揃えて「何ヵ月も支払ってもらえない」とか、近くのそば屋まで「あの家は、十何人前とかいって大量に届けさせるけど、払いは悪くて、二十万円以上踏み倒された」なんて言ってるんだ。みんなママのせいにしてしまって、ひどいよ。ママは家のことは、あの女に任せてたんだから、払わなかったのは、あの女の責任なんだ。出入りの商人に払うべき金は、箪笥の下にくすねてたんだよ、きっと。 | あの女がやったこと あの女とは、菅原ふみのことなんだが、このお金を支払ってない話、忘れたころにこうやって話に出てきた。 どうも、伏線の処理という感じがするな。 真相は闇の中だ。 |
466 | ママが造花の花束を、自分で作ったと言って友だちにあげている?信じられないなァ。だってママは、林梨江ってデザイナーにドレス作らしていただろ。ああ、そっちと間違って飛んだデマじゃないのかなァ。あの先生のドレスは、滅多やたらと造花をつけるのが特徴だろ。去年なんか、背中にくっつけるのファッションにしてたものね。ママは、あの人のスポンサーだったけど、造花については批判的だったと思うよ。だって、ママはフリルのついたフランス人形みたいなドレスが好きで、それが本当によく似合ったんだけど、あの先生が造花をつけてくると、黙ってそれを外して、宝石とつけかえていたんだもの。 カトレアね?蘭の花をブーケにして、胸許に飾ってたのは見たことあるけど、造花は、ママは好きじゃなかったと思うよ。だからさ、自分でそんなことする筈ないよ。 |
デマじゃないのかなァ これも先の話と同様、なんか伏線の処理って感じがしないでもない。 ただ、やはり造花を好きじゃなかったというのはあるのかもしれない。 富小路公子本人は、本物が好きで、まわりの人間は造花のほうが本物に見える。でも、富小路公子にとっては、本物しかわからないし、意味がない。 そういう感じかなあ。 |
469 | 僕が、まだ小学校に上ってなかった。ママが青い顔して、入って来て、おばあちゃんは買物にでも行ってたのかな。兄ちゃんは小学生だったから、いなかったし、ともかくママと二人きりだったんだ。ママが僕を抱いて、 「ねえ、輝。今日はなんていいお天気なんでしょう。お空を見てご覧なさい、青空よ。お空いっぱい美しいと思わないこと?」 (中略) ママは、あの日、ビルの更衣室で虹色に輝く雲を見たんだ。美しいものには眼のないママだったから、前後の考えもなく、その雲に乗ろうとしたんだ。あの日は上天気だったからね。それにまっ昼間の出来事だったでしょう?ママの傍には誰もいなかったんだよ。きっと。止める人がなかったんだ。 |
兄ちゃんは小学生だったから 次男義輝は小学校に行ってない時期だから、1961年か。 虹色に輝く雲を見たんだ |
ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。
時期 | 年齢 | 出来事 | 備考 |
1936年10月8日 | 0歳 | 檜町にて生まれる。 | 父は鈴木国次、母は鈴木タネ。 |
1942年4月 | 5歳 | 檜町小学校に入学。 | (小学生のとき) 尾藤輝彦に出会っている。 丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。 尾藤家に出入りしていた。 貰いっ子である嘘をついていた。 |
1951年 | 14歳 | 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 | 中学三年のとき。 |
1952年3月 | 15歳 | 簿記学校の夜学に現れる。 | |
1952年春頃 | 15歳 | 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。 宝石職人のところへ出入りしはじめる。 |
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1952年6月 | 15歳 | 簿記三級の試験。合格。 早川松夫に送ってもらう。 |
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1952年秋? | 15歳? | 尾藤輝彦と「アンナとシャム王」を観に行く。 尾藤家を出て、中野のアパートに移る。 尾藤輝彦と関係をもつ。 |
ルビーの指輪、サファイアの指輪、翡翠入りの髪飾り、角ダイヤの帯止め、エメラルドと真珠の帯止めを得る。 沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。 |
1952年12月 | 16歳 | 簿記二級の試験。合格。 沢山と関係をもつ。 日本橋の中華料理屋で働きはじめる。 |
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1953年年明け | 16歳 | 渡瀬義雄と出会う。 中野のアパートを出る。 渡瀬義雄との同棲がはじまる。 |
スター・ルビー、真珠のネックレス、ダイヤのペンダントを得る。 |
1953年4月 | 16歳 | 渡瀬義雄との婚姻届を出す。 | |
1953年春-夏? | 16歳 | 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 | エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。 尾藤家に行った理由は宝石返却? |
1953年秋 | 16歳 | このころ、長男義彦を妊娠。 | |
1953年冬 | 17歳 | 宝石店を辞める。 | |
1954年年明け | 17歳 | 中華料理屋を辞める。 | 渡瀬義雄がアパートから出て行く。 |
1954年夏 | 17歳 | 沢山家を訪れる。 長男義彦を産む。 |
部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。 部屋の名札は「鈴木君子」(尾藤輝彦)。 部屋は七号室。 |
1954年秋 | 17歳 | 中華料理屋で再び働きはじめる。 | 本郷のアパートに住む。 林梨江との付き合いがはじまる。 |
1955年年明け頃 | 18歳 | 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 | 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。 養子縁組。義彦を鈴木タネの養子とした。 |
1955年春 | 18歳 | このころ、次男義輝を妊娠。 | |
1955年春-夏? | 18歳 | 麻布のアパートを引払う。 | |
1955年12月 | 19歳 | 次男義輝を産む。 | |
1957年春頃 | 20歳 | 尾藤家に再び出入りし始める。 宝石買取など。 |
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。 |
1957年 -1959年 |
21歳 -23歳 |
簿記一級合格??
※時期的な根拠なし。21歳-23歳の時期の数年間が空白なため。 ※もしくは17-18歳の頃に合格してるか |
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1959年 | 23歳 | 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。 手切れ金として五千万円を得る。 |
渡瀬義雄と協議離婚。 |
1960年 | 24歳 | 日本橋の中華料理屋を購入。 フランス料理屋「モンレーブ」とする。 富本寛一と出会う。 |
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1961年 | 25歳 | 富本寛一と交際。 中野のアパートで、次男義輝を抱えたまま窓から落ちそうになる。 |
水曜日は、子供に会う日としていた。 |
1962年春-秋? | 25歳 | 富本寛一と結婚。 | 日本橋にビルを建てようと計画。 結婚して一月後には神宮前のアパートに住む。 烏丸瑤子と出会う。 |
1963年春-夏? | 26歳 | 田園調布の富本家を新築。 日本橋にビルを建てる。 |
「富小路」の性を使い始める。 |
1963年秋-冬? | 27歳 | 大内三郎と再会する。 ビル内の宝石店に引き抜く。 |
宝石屋を辞めて約十年後のこと。 林梨江にも声をかける。 |
1964年4月3日 | 27歳 | レイディズ・ソサイエティにビジターとして現れる。 | |
1964年? | 28歳頃? | 富本寛一と離婚。 | 富本宮子・寛一親子は神田のアパートへ出る。 |
1965年 | 29歳頃? | 長男義彦、次男義輝を田園調布に引取る。 | |
1967年 | 31歳 | レイディズ・ソサイエティに入会。 マルチーズ「光子さま」癲癇のため、北村院長はじめての往診。 |
申込書に昭和二十一年生まれと記入する。 |
1970年 | 34歳 | マルチーズ「光子さま」全犬種展で優勝。 | 以前に単犬種展でも優勝している。 |
1971年 | 35歳 | この頃から、宝来病院の世話になっている。 この頃から、テレビ出演がはじまる。 すでに「東京レディス・クラブ」を経営している。 |
戸籍上でも本名は「鈴木公子」となっている。 戸籍係を買収? マルチーズ「光子さま」が死んだと嘘をついた。 小島誠が「東京レディズ・クラブ」でアルバイトをはじめる。 |
? | 36歳頃? | 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 | 土地は沢山不動産が買う。 |
1973年春 | 36歳 | 小島誠を「東京レディズ・クラブ」の支配人に抜擢。 ニューヨークで、尾藤輝彦と一週間過ごす。 |
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1973年 | 36歳 | 「東京レディス・クラブ」で銀座のバアのマダムに挨拶している。 | |
1973年秋 | 37歳 | 小島誠と関係をもつ。 | |
? | 38歳頃? | 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。 | |
1977年10月 | 40歳 | 早川松夫と再会する。 宝石職人にロイヤルゼリーを届けに行く。 |
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1977年10月7日 (金曜日) |
40歳 | 早川松夫と電話。食事の約束をする。 | |
1977年10月8日 (土曜日) |
41歳 | 小島誠にドレスを見せている。 ショコラ・ムースを注文。 尾藤輝彦と電話で話す。 死亡。 |
二時以前の出来事。 夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。 昼なのに赤いイヴニング・ドレスを着ていた。 十日後にはハワイで挙式の予定だった。 その後ニューヨークへ行く予定だった。 |
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