はじめに , キャスティングと人物相関図 , 連載時期について , #01 早川松夫の話 , #02 丸井牧子の話 , #03 浅井雪子の話 , #04 渡瀬義雄の話 , #05 渡瀬小静の話 , #06 里野夫人の話 , #07 大内三郎の話 , #08 沢山夫人の話 , #09 沢山栄次の話 , #10 林梨江の話 , #11 伊藤弁護士の話 , #12 富本宮子の話 , #13 菅原ふみの話 , #14 富本寛一の話 , #15 烏丸瑤子の話 , #16 レイディズ・ソサイエティの事務員の話 , #17 瀬川大介の妻の話 , #18 宝石職人の話 , #19 北村院長の話 , #20 銀座のバアのマダムの話 , #21 鈴木タネの話 , #22 テレビ・プロデューサーの話 , #23 小島誠の話 , #24 長男義彦の話 , #25 尾藤輝彦の話 , #26 宝来病院元婦長の話 , #27 次男義輝の話 , まとめ 富小路公子の行動
ポイントとなる証言
ページ(文庫) | 証言 | 解説 |
290 | 何しろ、私は富小路さまは、お嬢さまのことしか存じ上げませんでしたからね。はあ、お嬢さまのことでございます。お名前は光子さまとお呼びしておりました。
(中略) |
光子さま 前の「その十八 宝石職人の話」の最後にて、女の子が欲しかったともらす富小路公子。そしてこの章でいきなり「お嬢さま」ときた。 まあ読めばわかる話なんだけど、この犬にまつわるエピソード、何の意図があるんだろうなあ。 テレビで同時進行だし、あとで舞台化もされてるけど、何かしらコメディの要素が必要だと考えていたんだろうか。 問題は、どこがコメディなのかということだけど。 昭和四十二年が、最初の往診 |
292 | TOMINOKOJIという表札が出ているお屋敷の門内にリンカーン・コンチネンタルが滑りこみますと、 | TOMINOKOJI 「その十四 富本寛一の話」に出てきてたのだけど、結婚している時期は、TOMIMOTOという表札にしていた。 |
293 | 「癲癇と仰言いましたわね?」 「はい」 「まああ。どうして、そんなとんでもない病気になったんでしょう。この子に悪い血は一滴も流れていませんのに」 「マルチーズには案外、多い御病気なんでございますよ」 |
マルチーズ ともかく、これが何の意図があって挿入された話なのかよくわからん。 |
298 | 光子さまが、全犬種展で優勝なすったのは、昭和四十五年でございました。その前には、東京支部展の単犬種展で優勝なさっていましたから、自信がおありだったと思います。 | 全犬種展で優勝 この時期のドッグショーと、現在のそれとで、どれほど権威的に差があるのかわからないが(というかドッグショー自体よく知らん)、全犬種展で優勝というのは、かなりのものです。らしいです。よそのホームページにそう書いてある。 ん?東京支部展で単犬種展で優勝の次だから、もしかして全国で全犬種展で優勝したというすごさを示してるのか? |
ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。
時期 | 年齢 | 出来事 | 備考 |
? | ? | 丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。 尾藤家に出入りしていた。 貰いっ子である嘘をついていた。 |
小学生のとき。 |
1951年 | 14歳 | 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 | 中学三年のとき。 |
1952年3月 | 15歳 | 簿記学校の夜学に現れる。 | |
1952年春頃 | 15歳 | 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。 宝石職人のところへ出入りしはじめる。 |
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1952年6月 | 15歳 | 簿記三級の試験。合格。 早川松夫に送ってもらう。 |
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1952年夏 | 15歳 | 沢山と関係をもつ。 日本橋の中華料理屋で働きはじめる。 |
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1952年秋頃 | 15歳 | 渡瀬義雄と出会う。 | 沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。 |
1952年12月 | 16歳 | 渡瀬義雄との同棲がはじまる。 簿記二級の試験。合格。 |
|
1953年4月 | 16歳 | 渡瀬義雄との婚姻届を出す。 | |
1953年春-夏? | 16歳 | 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 | エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。 尾藤家に行った理由は宝石返却? |
1953年秋 | 16歳 | このころ、長男義彦を妊娠。 | |
1953年冬 | 17歳 | 宝石店を辞める。 | |
1954年年明け | 17歳 | 中華料理屋を辞める。 | 渡瀬義雄がアパートから出て行く。 |
1954年夏 | 17歳 | 沢山家を訪れる。 長男義彦を産む。 |
部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。 部屋は七号室。 |
1954年秋 | 17歳 | 中華料理屋で再び働きはじめる。 | 本郷のアパートに住む。 林梨江との付き合いがはじまる。 |
1955年年明け頃 | 18歳 | 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 | 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。 養子縁組。義彦を鈴木タネの養子とした。 |
1955年春 | 18歳 | このころ、次男義輝を妊娠。 | |
1955年春-夏? | 18歳 | 麻布のアパートを引払う。 | |
1955年12月 | 19歳 | 次男義輝を産む。 | |
1957年春頃 | 20歳 | 尾藤家に再び出入りし始める。 宝石買取など。 |
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。 |
1957年 -1959年 |
21歳 -23歳 |
簿記一級合格??
※時期的な根拠なし。21歳-23歳の時期の数年間が空白なため。 ※もしくは17-18歳の頃に合格してるか |
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1959年 | 23歳 | 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。 手切れ金として五千万円を得る。 |
渡瀬義雄と協議離婚。 |
1960年 | 24歳 | 日本橋の中華料理屋を購入。 フランス料理屋「モンレーブ」とする。 富本寛一と出会う。 |
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1961年 | 25歳 | 富本寛一と交際。 | |
1962年春-秋? | 25歳 | 富本寛一と結婚。 | 日本橋にビルを建てようと計画。 結婚して一月後には神宮前のアパートに住む。 烏丸瑤子と出会う。 |
1963年春-夏? | 26歳 | 田園調布の富本家を新築。 日本橋にビルを建てる。 |
「富小路」の性を使い始める。 |
1963年秋-冬? | 27歳 | 大内三郎と再会する。 ビル内の宝石店に引き抜く。 |
宝石屋を辞めて約十年後のこと。 林梨江にも声をかける。 |
1964年4月3日 | 27歳 | レイディズ・ソサイエティにビジターとして現れる。 | |
1964年? | 28歳頃? | 富本寛一と離婚。 | 富本宮子・寛一親子は神田のアパートへ出る。 |
1965年 | 29歳頃? | 長男義彦、次男義輝を田園調布に引取る。 | |
1967年 | 31歳 | レイディズ・ソサイエティに入会。 マルチーズ「光子さま」癲癇のため、北村院長はじめての往診。 |
申込書に昭和二十一年生まれと記入する。 |
1970年 | 34歳 | マルチーズ「光子さま」全犬種展で優勝。 | 以前に単犬種展でも優勝している。 |
? | 36歳頃? | 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 | 土地は沢山不動産が買う。 |
? | 38歳頃? | 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。 | |
1977年10月 | 40歳 | 早川松夫と再会する。 宝石職人にロイヤルゼリーを届けに行く。 |
|
1977年10月7日 (金曜日) |
40歳 | 早川松夫と電話。食事の約束をする。 | |
1977年10月8日 (土曜日) |
41歳 | 死亡。 | 二時以前の出来事。 夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。 昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。 |
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