はじめに , キャスティングと人物相関図 , 連載時期について , #01 早川松夫の話 , #02 丸井牧子の話 , #03 浅井雪子の話 , #04 渡瀬義雄の話 , #05 渡瀬小静の話 , #06 里野夫人の話 , #07 大内三郎の話 , #08 沢山夫人の話 , #09 沢山栄次の話 , #10 林梨江の話 , #11 伊藤弁護士の話 , #12 富本宮子の話 , #13 菅原ふみの話 , #14 富本寛一の話 , #15 烏丸瑤子の話 , #16 レイディズ・ソサイエティの事務員の話 , #17 瀬川大介の妻の話 , #18 宝石職人の話 , #19 北村院長の話 , #20 銀座のバアのマダムの話 , #21 鈴木タネの話 , #22 テレビ・プロデューサーの話 , #23 小島誠の話 , #24 長男義彦の話 , #25 尾藤輝彦の話 , #26 宝来病院元婦長の話 , #27 次男義輝の話 , まとめ 富小路公子の行動
ポイントとなる証言
ページ(文庫) | 証言 | 解説 |
243 | おたずねの富小路公子さまについて — こちらの記録がございますから、お目にかけましょう。御入会は昭和四十二年でございますね。入会には御紹介者が三人必要なのでございますが、会員の烏丸さまと御一緒に、ビジターとしてその二、三年前からよくお見えになっております。 | 昭和四十二年 1967年。とっくに富本寛一と離婚している。 |
245 | 富小路公子さんは、昭和三十九年の四月三日、烏丸さまのビジターとして御一緒にお出でになったのが最初でございますね。はい、ビジターはその都度社交場使用量として、当時で一万円お支払い頂いておりました。会員は、無料なんでございますけれども。年間の維持費を頂いておりますから。 | 昭和三十九年の四月三日 珍しく、かなり具体的な日付が出てきました。 1964年といえば、富本寛一と離婚してるかしてないかのころ。 |
255 | お亡くなりになる前の年は、頻繁にいらしてました。 「血圧が低くて、苦しんでおりますの。低血圧にはサウナが一番ですわね」 「あんまりお仕事が多いので、お疲れになっていらっしゃるんでしょう?」 「はい。少し手を広げすぎていますわ。反省していますの。宝石屋から麻雀荘まで、レストランありブティックありでしょう?不動産会社なんて、女のやる仕事じゃございませんわねえ。血圧が下ると眠れませんし、眠れないと食慾がなくなりますし。仰言る通り働きすぎてますのよ、私」 入会なさるとき、あの方は昭和二十一年生まれとお書きになってました。これが、あの方の手蹟です。三十そこそこで、どうしてそんなに大きな商売をなさるのかと思っておりましたら、亡くなって週刊誌でいろいろ戸籍のことが出てきましたでしょ。まあ、十年もサバをお読みになってましたのね。でも四十過ぎてるとは、私も思いませんでしたわ。美人とは思いませんでしたけど、お肌が白くて、若さが漲っているようでしたもの。 |
昭和二十一年生まれとお書きに 1964年にビジターとして現れ、1967年に入会する際、昭和二十一年生まれと書いた。つまり31歳なのに21歳と詐称したわけだ。 そんなこと成立するでしょうか。・・・いや、するかもな。 |
ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。
時期 | 年齢 | 出来事 | 備考 |
? | ? | 丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。 尾藤家に出入りしていた。 貰いっ子である嘘をついていた。 |
小学生のとき。 |
1951年 | 14歳 | 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 | 中学三年のとき。 |
1952年3月 | 15歳 | 簿記学校の夜学に現れる。 | |
1952年春頃 | 15歳 | 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。 | |
1952年6月 | 15歳 | 簿記三級の試験。合格。 早川松夫に送ってもらう。 |
|
1952年夏 | 15歳 | 沢山と関係をもつ。 日本橋の中華料理屋で働きはじめる。 |
|
1952年秋頃 | 15歳 | 渡瀬義雄と出会う。 | 沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。 |
1952年12月 | 16歳 | 渡瀬義雄との同棲がはじまる。 簿記二級の試験。合格。 |
|
1953年4月 | 16歳 | 渡瀬義雄との婚姻届を出す。 | |
1953年春-夏? | 16歳 | 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 | エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。 尾藤家に行った理由は宝石返却? |
1953年秋 | 16歳 | このころ、長男義彦を妊娠。 | |
1953年冬 | 17歳 | 宝石店を辞める。 | |
1954年年明け | 17歳 | 中華料理屋を辞める。 | 渡瀬義雄がアパートから出て行く。 |
1954年夏 | 17歳 | 沢山家を訪れる。 長男義彦を産む。 |
部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。 部屋は七号室。 |
1954年秋 | 17歳 | 中華料理屋で再び働きはじめる。 | 本郷のアパートに住む。 林梨江との付き合いがはじまる。 |
1955年年明け頃 | 18歳 | 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 | 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。 養子縁組。義彦を鈴木タネの養子とした。 |
1955年春 | 18歳 | このころ、次男義輝を妊娠。 | |
1955年春-夏? | 18歳 | 麻布のアパートを引払う。 | |
1955年12月 | 19歳 | 次男義輝を産む。 | |
1957年春頃 | 20歳 | 尾藤家に再び出入りし始める。 宝石買取など。 |
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。 |
1957年 -1959年 |
21歳 -23歳 |
簿記一級合格??
※時期的な根拠なし。21歳-23歳の時期の数年間が空白なため。 ※もしくは17-18歳の頃に合格してるか |
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1959年 | 23歳 | 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。 手切れ金として五千万円を得る。 |
渡瀬義雄と協議離婚。 |
1960年 | 24歳 | 日本橋の中華料理屋を購入。 フランス料理屋「モンレーブ」とする。 富本寛一と出会う。 |
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1961年 | 25歳 | 富本寛一と交際。 | |
1962年春-秋? | 25歳 | 富本寛一と結婚。 | 日本橋にビルを建てようと計画。 結婚して一月後には神宮前のアパートに住む。 烏丸瑤子と出会う。 |
1963年春-夏? | 26歳 | 田園調布の富本家を新築。 日本橋にビルを建てる。 |
「富小路」の性を使い始める。 |
1963年秋-冬? | 27歳 | 大内三郎と再会する。 ビル内の宝石店に引き抜く。 |
宝石屋を辞めて約十年後のこと。 林梨江にも声をかける。 |
1964年4月3日 | 27歳 | レイディズ・ソサイエティにビジターとして現れる。 | |
1964年? | 28歳頃? | 富本寛一と離婚。 | 富本宮子・寛一親子は神田のアパートへ出る。 |
1965年 | 29歳頃? | 長男義彦、次男義輝を田園調布に引取る。 | |
1967年 | 31歳 | レイディズ・ソサイエティに入会。 | 申込書に昭和二十一年生まれと記入する。 |
? | 36歳頃? | 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 | 土地は沢山不動産が買う。 |
? | 38歳頃? | 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。 | |
1977年10月 | 40歳 | 早川松夫と再会する。 | |
1977年10月7日 (金曜日) |
40歳 | 早川松夫と電話。食事の約束をする。 | |
1977年10月8日 (土曜日) |
41歳 | 死亡。 | 二時以前の出来事。 夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。 昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。 |
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