はじめに , キャスティングと人物相関図 , 連載時期について , #01 早川松夫の話 , #02 丸井牧子の話 , #03 浅井雪子の話 , #04 渡瀬義雄の話 , #05 渡瀬小静の話 , #06 里野夫人の話 , #07 大内三郎の話 , #08 沢山夫人の話 , #09 沢山栄次の話 , #10 林梨江の話 , #11 伊藤弁護士の話 , #12 富本宮子の話 , #13 菅原ふみの話 , #14 富本寛一の話 , #15 烏丸瑤子の話 , #16 レイディズ・ソサイエティの事務員の話 , #17 瀬川大介の妻の話 , #18 宝石職人の話 , #19 北村院長の話 , #20 銀座のバアのマダムの話 , #21 鈴木タネの話 , #22 テレビ・プロデューサーの話 , #23 小島誠の話 , #24 長男義彦の話 , #25 尾藤輝彦の話 , #26 宝来病院元婦長の話 , #27 次男義輝の話 , まとめ 富小路公子の行動
ポイントとなる証言
ページ(文庫) | 証言 | 解説 |
176 | 「帝国ホテルで結婚披露をするのが夢だったんだって。費用は僕らでやれるようにする」 (中略) 驚きましたのは、伊藤先生が、公子さんの学歴を青山学院短大卒と仰言ったことでございました。青山学院に夜学があったのか、不思議でした。それなら決して恥しがることもないのに、どうして私には夜学へ行っていた、昼間は働いていた、と公子さんは言ったのでしょう。結婚式場に、公子さんのお友だちが一人も姿を見せなかったのはなぜでしょう。私は、誰かにすがりついて大声で叫び度うございました。 「私、何も存じませんのよ」 って。 |
帝国ホテル IMPERIAL HOTEL 大日本帝国憲法発布の翌年、1890年(明治23年)に開業。 そういえば「その十五 烏丸瑤子の話」でも帝国ホテルが出てきたような・・・ |
179 | 一週間もたたないうちに、寛一が、二人だけでアパートで暮したいと言い出したときは、目の前がまっ暗になりました。 「どうして?私の何がいけないの?公子さんがそう言い出したの?」 「いや、僕の意思です。そうじゃないと、僕が参ってしまいそうなのだ。ママ、僕のわがままだと思って許して下さい」 何がなんだか分らないうちに、本郷のアパートに引越してしまったんです。 |
本郷のアパート つまり、林梨江の話すアパートは本郷ではなく麻布であったか、もしくは富本宮子の話すアパートは本郷ではなく神宮前だったか。 これはさすがに作者のミスではないかと思うのだが・・・ |
180 | それから半年ほどしたでしょうか、
(中略) |
八所借り 「やところがり」って何だ? 調べてみたが、わからず。 あるページによると、八は八百万と一緒で「たくさん」という意味、八所は「どこにでもいる」という意味らしいが・・・ 「どこにでもいる」「借りる」って何だろう。 誰か知ってる人、教えてください。 結婚して半年ほど経ったころ、日本橋の中華料理屋をビルにするのも進行していたことがわかる。 |
184 | 何があったのか、さっぱり分りませんでした。離婚を言い出したのは寛一の方でした。公子さんが同意しないものですから家裁では埒があかず、結局、寛一は富本家の土地五百坪を慰謝料代りに公子さんに渡して、私と寛一の二人きりで、神田のアパートに移りました。 そうなってから、伊藤先生に、公子さんの過去のことを詳しく伺いまして肝を潰しましたのです、私。 |
「その十四 富本寛一の話」でわかるが、結婚してた時期はかなり短い。 |
ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。
時期 | 年齢 | 出来事 | 備考 |
? | ? | 丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。 尾藤家に出入りしていた。 貰いっ子である嘘をついていた。 |
小学生のとき。 |
1951年 | 14歳 | 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 | 中学三年のとき。 |
1952年3月 | 15歳 | 簿記学校の夜学に現れる。 | |
1952年春頃 | 15歳 | 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。 | |
1952年6月 | 15歳 | 簿記三級の試験。合格。 早川松夫に送ってもらう。 |
|
1952年夏 | 15歳 | 沢山と関係をもつ。 日本橋の中華料理屋で働きはじめる。 |
|
1952年秋頃 | 15歳 | 渡瀬義雄と出会う。 | 沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。 |
1952年12月 | 16歳 | 渡瀬義雄との同棲がはじまる。 簿記二級の試験。合格。 |
|
1953年4月 | 16歳 | 渡瀬義雄との婚姻届を出す。 | |
1953年春-夏? | 16歳 | 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 | エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。 尾藤家に行った理由は宝石返却? |
1953年秋 | 16歳 | このころ、長男義彦を妊娠。 | |
1953年冬 | 17歳 | 宝石店を辞める。 | |
1954年年明け | 17歳 | 中華料理屋を辞める。 | 渡瀬義雄がアパートから出て行く。 |
1954年夏 | 17歳 | 沢山家を訪れる。 長男義彦を産む。 |
部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。 部屋は七号室。 |
1954年秋 | 17歳 | 中華料理屋で再び働きはじめる。 | 本郷のアパートに住む。 林梨江との付き合いがはじまる。 |
1955年年明け頃 | 18歳 | 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 | 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。 養子縁組。義彦を鈴木タネの養子とした。 |
1955年春 | 18歳 | このころ、次男義輝を妊娠。 | |
1955年春-夏? | 18歳 | 麻布のアパートを引払う。 | |
1955年12月 | 19歳 | 次男義輝を産む。 | |
1957年春頃 | 20歳 | 尾藤家に再び出入りし始める。 宝石買取など。 |
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。 |
1959年 | 23歳 | 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。 手切れ金として五千万円を得る。 |
渡瀬義雄と協議離婚。 |
1960年 | 24歳 | 日本橋の中華料理屋を購入。 | |
1962年春-秋? | 25歳 | 富本寛一と結婚。 | 日本橋にビルを建てようと計画。 結婚して一月後には神宮前のアパートに住む。 |
1963年春-夏? | 26歳 | 田園調布の富本家を新築。 日本橋にビルを建てる。 |
|
1963年秋-冬? | 27歳 | 大内三郎と再会する。 ビル内の宝石店に引き抜く。 |
宝石屋を辞めて約十年後のこと。 林梨江にも声をかける。 |
1964年? | 27歳頃? | 富本寛一と離婚。 | 富本宮子・寛一親子は神田のアパートへ出る。 |
? | 36歳頃? | 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 | 土地は沢山不動産が買う。 |
? | 38歳頃? | 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。 | |
1977年10月 | 40歳 | 早川松夫と再会する。 | |
1977年10月7日 (金曜日) |
40歳 | 早川松夫と電話。食事の約束をする。 | |
1977年10月8日 (土曜日) |
41歳 | 死亡。 | 二時以前の出来事。 夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。 昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。 |
はじめに , キャスティングと人物相関図 , 連載時期について , #01 早川松夫の話 , #02 丸井牧子の話 , #03 浅井雪子の話 , #04 渡瀬義雄の話 , #05 渡瀬小静の話 , #06 里野夫人の話 , #07 大内三郎の話 , #08 沢山夫人の話 , #09 沢山栄次の話 , #10 林梨江の話 , #11 伊藤弁護士の話 , #12 富本宮子の話 , #13 菅原ふみの話 , #14 富本寛一の話 , #15 烏丸瑤子の話 , #16 レイディズ・ソサイエティの事務員の話 , #17 瀬川大介の妻の話 , #18 宝石職人の話 , #19 北村院長の話 , #20 銀座のバアのマダムの話 , #21 鈴木タネの話 , #22 テレビ・プロデューサーの話 , #23 小島誠の話 , #24 長男義彦の話 , #25 尾藤輝彦の話 , #26 宝来病院元婦長の話 , #27 次男義輝の話 , まとめ 富小路公子の行動