その二十七 次男義輝の話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
464 だけど一つだけ、絶対あれはあの女がやったことだと思うよ。ママが死んだあと、いろんな週刊誌が、あることないこと書いたでしょう?そのとき、田園調布の米屋も肉屋も、口を揃えて「何ヵ月も支払ってもらえない」とか、近くのそば屋まで「あの家は、十何人前とかいって大量に届けさせるけど、払いは悪くて、二十万円以上踏み倒された」なんて言ってるんだ。みんなママのせいにしてしまって、ひどいよ。ママは家のことは、あの女に任せてたんだから、払わなかったのは、あの女の責任なんだ。出入りの商人に払うべき金は、箪笥の下にくすねてたんだよ、きっと。 あの女がやったこと
あの女とは、菅原ふみのことなんだが、このお金を支払ってない話、忘れたころにこうやって話に出てきた。
どうも、伏線の処理という感じがするな。
真相は闇の中だ。
466 ママが造花の花束を、自分で作ったと言って友だちにあげている?信じられないなァ。だってママは、林梨江ってデザイナーにドレス作らしていただろ。ああ、そっちと間違って飛んだデマじゃないのかなァ。あの先生のドレスは、滅多やたらと造花をつけるのが特徴だろ。去年なんか、背中にくっつけるのファッションにしてたものね。ママは、あの人のスポンサーだったけど、造花については批判的だったと思うよ。だって、ママはフリルのついたフランス人形みたいなドレスが好きで、それが本当によく似合ったんだけど、あの先生が造花をつけてくると、黙ってそれを外して、宝石とつけかえていたんだもの。
カトレアね?蘭の花をブーケにして、胸許に飾ってたのは見たことあるけど、造花は、ママは好きじゃなかったと思うよ。だからさ、自分でそんなことする筈ないよ。
デマじゃないのかなァ
これも先の話と同様、なんか伏線の処理って感じがしないでもない。
ただ、やはり造花を好きじゃなかったというのはあるのかもしれない。
富小路公子本人は、本物が好きで、まわりの人間は造花のほうが本物に見える。でも、富小路公子にとっては、本物しかわからないし、意味がない。
そういう感じかなあ。
469 僕が、まだ小学校に上ってなかった。ママが青い顔して、入って来て、おばあちゃんは買物にでも行ってたのかな。兄ちゃんは小学生だったから、いなかったし、ともかくママと二人きりだったんだ。ママが僕を抱いて、
「ねえ、輝。今日はなんていいお天気なんでしょう。お空を見てご覧なさい、青空よ。お空いっぱい美しいと思わないこと?」

(中略)

ママは、あの日、ビルの更衣室で虹色に輝く雲を見たんだ。美しいものには眼のないママだったから、前後の考えもなく、その雲に乗ろうとしたんだ。あの日は上天気だったからね。それにまっ昼間の出来事だったでしょう?ママの傍には誰もいなかったんだよ。きっと。止める人がなかったんだ。

兄ちゃんは小学生だったから
次男義輝は小学校に行ってない時期だから、1961年か。

虹色に輝く雲を見たんだ
これも先の二つと同様、なにかまとめって感じがしなくもない。最終話だから当たり前か。
もう、すでに「その二十五 尾藤輝彦の話」「その二十六 宝来病院元婦長の話」により、大半の謎が解決されていて、そのうえで、こういった描写があることで綺麗にまとまっているなと感じる。
あくまでも真実は闇の中だ。人によって証言が異なるし、読み手も捉え方が異なれば真実が異なるでしょう、と有吉佐和子が言ってきそうだ。

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
1936年10月8日 0歳 檜町にて生まれる。 父は鈴木国次、母は鈴木タネ。
1942年4月 5歳 檜町小学校に入学。 (小学生のとき)
尾藤輝彦に出会っている。
丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。
尾藤家に出入りしていた。
貰いっ子である嘘をついていた。
1951年 14歳 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 中学三年のとき。
1952年3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年春頃 15歳 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。
宝石職人のところへ出入りしはじめる。
 
1952年6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
 
1952年秋? 15歳? 尾藤輝彦と「アンナとシャム王」を観に行く。
尾藤家を出て、中野のアパートに移る。
尾藤輝彦と関係をもつ。
ルビーの指輪、サファイアの指輪、翡翠入りの髪飾り、角ダイヤの帯止め、エメラルドと真珠の帯止めを得る。
沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年12月 16歳 簿記二級の試験。合格。
沢山と関係をもつ。
日本橋の中華料理屋で働きはじめる。
 
1953年年明け 16歳 渡瀬義雄と出会う。
中野のアパートを出る。
渡瀬義雄との同棲がはじまる。
スター・ルビー、真珠のネックレス、ダイヤのペンダントを得る。
1953年4月 16歳 渡瀬義雄との婚姻届を出す。  
1953年春-夏? 16歳 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。
尾藤家に行った理由は宝石返却?
1953年秋 16歳 このころ、長男義彦を妊娠。  
1953年冬 17歳 宝石店を辞める。  
1954年年明け 17歳 中華料理屋を辞める。 渡瀬義雄がアパートから出て行く。
1954年夏 17歳 沢山家を訪れる。
長男義彦を産む。
部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。
部屋の名札は「鈴木君子」(尾藤輝彦)。
部屋は七号室。
1954年秋 17歳 中華料理屋で再び働きはじめる。 本郷のアパートに住む。
林梨江との付き合いがはじまる。
1955年年明け頃 18歳 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。
養子縁組。義彦を鈴木タネの養子とした。
1955年春 18歳 このころ、次男義輝を妊娠。  
1955年春-夏? 18歳 麻布のアパートを引払う。  
1955年12月 19歳 次男義輝を産む。  
1957年春頃 20歳 尾藤家に再び出入りし始める。
宝石買取など。
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。
1957年
-1959年
21歳
-23歳
簿記一級合格??

※時期的な根拠なし。21歳-23歳の時期の数年間が空白なため。

※もしくは17-18歳の頃に合格してるか

 
1959年 23歳 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。
手切れ金として五千万円を得る。
渡瀬義雄と協議離婚。
1960年 24歳 日本橋の中華料理屋を購入。
フランス料理屋「モンレーブ」とする。
富本寛一と出会う。
 
1961年 25歳 富本寛一と交際。
中野のアパートで、次男義輝を抱えたまま窓から落ちそうになる。
水曜日は、子供に会う日としていた。
1962年春-秋? 25歳 富本寛一と結婚。 日本橋にビルを建てようと計画。
結婚して一月後には神宮前のアパートに住む。
烏丸瑤子と出会う。
1963年春-夏? 26歳 田園調布の富本家を新築。
日本橋にビルを建てる。
「富小路」の性を使い始める。
1963年秋-冬? 27歳 大内三郎と再会する。
ビル内の宝石店に引き抜く。
宝石屋を辞めて約十年後のこと。
林梨江にも声をかける。
1964年4月3日 27歳 レイディズ・ソサイエティにビジターとして現れる。  
1964年? 28歳頃? 富本寛一と離婚。 富本宮子・寛一親子は神田のアパートへ出る。
1965年 29歳頃? 長男義彦、次男義輝を田園調布に引取る。  
1967年 31歳 レイディズ・ソサイエティに入会。
マルチーズ「光子さま」癲癇のため、北村院長はじめての往診。
申込書に昭和二十一年生まれと記入する。
1970年 34歳 マルチーズ「光子さま」全犬種展で優勝。 以前に単犬種展でも優勝している。
1971年 35歳 この頃から、宝来病院の世話になっている。
この頃から、テレビ出演がはじまる。
すでに「東京レディス・クラブ」を経営している。
戸籍上でも本名は「鈴木公子」となっている。
戸籍係を買収?
マルチーズ「光子さま」が死んだと嘘をついた。
小島誠が「東京レディズ・クラブ」でアルバイトをはじめる。
36歳頃? 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 土地は沢山不動産が買う。
1973年春 36歳 小島誠を「東京レディズ・クラブ」の支配人に抜擢。
ニューヨークで、尾藤輝彦と一週間過ごす。
 
1973年 36歳 「東京レディス・クラブ」で銀座のバアのマダムに挨拶している。  
1973年秋 37歳 小島誠と関係をもつ。  
38歳頃? 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。
宝石職人にロイヤルゼリーを届けに行く。
 
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 小島誠にドレスを見せている。
ショコラ・ムースを注文。
尾藤輝彦と電話で話す。

死亡。

二時以前の出来事。
夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。
昼なのに赤いイヴニング・ドレスを着ていた。
十日後にはハワイで挙式の予定だった。
その後ニューヨークへ行く予定だった。