その二十二 テレビ・プロデューサーの話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
348 それで次の週「女が大金持になる方法」という特別番組を企画したのです。なにしろ生放送ですから、一時間も待たされたらモーニング・ショーは終ってしまう。担当者には二時間も前から迎えに行かせました。彼女、しかし局から廻した車には乗らず、メルセデス・ベンツで乗りつけましたよ。リンカーン・コンチネンタルじゃなかったか?いや、来る度に車種が違ってました。リンカーン・コンチネンタルで来たこともありますが、一番最初はメルセデス・ベンツです。それも銀色の、輝くような車でした。 モーニング・ショー
検索すると色々わかった。「モーニング・ショー」は、1964年4月から1993年3月まで放送された。その後は、「スーパーモーニング」と名前を変え、引き継がれた。
司会がバトンタッチしていて、初代は木島則夫(1964年4月-1968年3月)。以後、長谷川肇(1968年4月-)、奈良和(1969年4月-)、溝口泰男(1977年5月-)、江森陽弘(1983年4月-)、美里美寿々(1986年10月-)、武見敬三(1987年10月-)、内田忠男(1988年10月-)、渡辺宣嗣(1991年4月-)と続いた。
作中では、溝口氏が司会として実名登場している。
だから、1977年5月以降の出来事としていいのか。

いや、それではよくない。
その二 丸井牧子の話」にあるが、富小路公子の死ぬ三年前に、富小路公子が造花を持って丸井牧子を訪ねているが、さらにその三年前に、丸井牧子がテレビに出演しているのを見て電話をかけているのだ。
つまり、1971年頃には富小路公子はテレビ出演していたということになる。

メディアミックスでテレビでも同時に放送されていたので、そこらへんでちょっとフィクションになっているのではないかと思う。
どうも、1971年と1977年をまぜてしまったような印象があるのだ。
このテレビ・プロデューサーの話の中でもあるが、富小路公子を「30歳くらいか」と話す人がいる。これは1977年に40歳だったことを示しているっぽいし、また、マルチーズが死んだと嘘をつくところで「四歳になったばかり」と話すが、時期的に1971年ごろならぴったりである。

だから、1971年ごろから出演していた・・・のだが、そのころから溝口氏が司会をしていた・・・という虚構で成立する世界と考えることにする。

351 ところが、反響がもの凄かったんです。これは全く予想外でした。

(中略)
「彼女が、もぐりの金融業、つまり高利貸しをしている事実を知っていますか。悪辣非道というのは、あの女のことです。調査して彼女の過去を暴く方が、社会派のモーニング・ショーにふさわしいと思いませんか」

(中略)

しかし、捨ててはおけませんから、彼女の戸籍謄本を取り寄せ、彼女が関わりを持っている会社の内情は一応調査しました。その結果、ペンネームの類だと思っていた姓名がやはりそうで本名が鈴木公子であることも分りましたし、彼女の経営している会社の数は僕らが想像していたより多いことも知ったわけです。

高利貸し
そういう記述がほかにはないが、たくさんの会社を経営している中で、そういう商売もやっていたということでしょう。だいたい38の会社を経営している、と言っておいて実際はそれよりも多いことが下の描写であるので、相当な経営力というべきだろうか。

本名が鈴木公子
戸籍謄本に、「鈴木公子」とあったということは、やはり改名しているのだ。
その十八 宝石職人の話」にもあるが、やはり改名していたのか・・・
その二十四 長男義彦の話」にて、戸籍係を買収したという記述がある。

358 当日、彼女は手ぶらで来てしまったんです。相変らず、美容師やら、医者やら、デザイナーにアラン・ドロン、いや小島っていう「東京レディス・クラブ」の支配人ですか。そういう取巻きは早目に局に来て待ち構えていたんですが、肝腎のマルチーズという犬が来ない。
「どうしたんですか、犬は」
僕が詰問すると、彼女は化粧の途中でしたが、
「光子、死んだんですの」
と言って、泣き崩れてしまったんです。僕は言うべき言葉がなかった。

(中略)

えッ、本当ですか?
あの犬、まだ生きてるんですか?
信じられないなあ、僕ら、仕方がないから香奠みたいなもの届けたんですよ。そしたら香奠返しにですね、スタッフ全員に「志」と書いた装身具を、男にはネクタイピン、女にはペンダントを届けて来ました。小さいけれども、全部ダイヤモンド入りでね。すぐ宝石屋に鑑定して貰った奴がいましたが、本物のダイヤモンドでしたよ。

(中略)

え?あの犬が癲癇持ち?
分った。だからテレビに出せなかったんだ。スタジオのライトは強いし、人間でもその持病のある人は、初出演となると緊張のあまり発作を起して口から泡を噴くことがあるんです。

あの犬が癲癇持ち?
富小路公子の性格として、後先を考えずに引き受けることはあったのかもしれない。
そして、嘘をつくことも後先を考えてなかったと。

香典返しにダイヤモンドを送ってでも、嘘を通そうとした。

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
1936年10月8日 0歳 檜町にて生まれる。 父は鈴木国次、母は鈴木タネ。
丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。
尾藤家に出入りしていた。
貰いっ子である嘘をついていた。
小学生のとき。
1951年 14歳 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 中学三年のとき。
1952年3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年春頃 15歳 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。
宝石職人のところへ出入りしはじめる。
 
1952年6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
 
1952年6月-夏? 15歳 尾藤家を出て、中野のアパートに移る。 ルビーの指輪、サファイアの指輪、翡翠入りの髪飾り、角ダイヤの帯止め、エメラルドと真珠の帯止めを得る。
1952年夏 15歳 沢山と関係をもつ。
日本橋の中華料理屋で働きはじめる。
 
1952年秋頃 15歳 渡瀬義雄と出会う。 沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年12月 16歳 中野のアパートを出る。
渡瀬義雄との同棲がはじまる。
簿記二級の試験。合格。
スター・ルビー、真珠のネックレス、ダイヤのペンダントを得る。
1953年4月 16歳 渡瀬義雄との婚姻届を出す。  
1953年春-夏? 16歳 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。
尾藤家に行った理由は宝石返却?
1953年秋 16歳 このころ、長男義彦を妊娠。  
1953年冬 17歳 宝石店を辞める。  
1954年年明け 17歳 中華料理屋を辞める。 渡瀬義雄がアパートから出て行く。
1954年夏 17歳 沢山家を訪れる。
長男義彦を産む。
部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。
部屋は七号室。
1954年秋 17歳 中華料理屋で再び働きはじめる。 本郷のアパートに住む。
林梨江との付き合いがはじまる。
1955年年明け頃 18歳 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。
養子縁組。義彦を鈴木タネの養子とした。
1955年春 18歳 このころ、次男義輝を妊娠。  
1955年春-夏? 18歳 麻布のアパートを引払う。  
1955年12月 19歳 次男義輝を産む。  
1957年春頃 20歳 尾藤家に再び出入りし始める。
宝石買取など。
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。
1957年
-1959年
21歳
-23歳
簿記一級合格??

※時期的な根拠なし。21歳-23歳の時期の数年間が空白なため。

※もしくは17-18歳の頃に合格してるか

 
1959年 23歳 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。
手切れ金として五千万円を得る。
渡瀬義雄と協議離婚。
1960年 24歳 日本橋の中華料理屋を購入。
フランス料理屋「モンレーブ」とする。
富本寛一と出会う。
 
1961年 25歳 富本寛一と交際。  
1962年春-秋? 25歳 富本寛一と結婚。 日本橋にビルを建てようと計画。
結婚して一月後には神宮前のアパートに住む。
烏丸瑤子と出会う。
1963年春-夏? 26歳 田園調布の富本家を新築。
日本橋にビルを建てる。
「富小路」の性を使い始める。
1963年秋-冬? 27歳 大内三郎と再会する。
ビル内の宝石店に引き抜く。
宝石屋を辞めて約十年後のこと。
林梨江にも声をかける。
1964年4月3日 27歳 レイディズ・ソサイエティにビジターとして現れる。  
1964年? 28歳頃? 富本寛一と離婚。 富本宮子・寛一親子は神田のアパートへ出る。
1965年 29歳頃? 長男義彦、次男義輝を田園調布に引取る。  
1967年 31歳 レイディズ・ソサイエティに入会。
マルチーズ「光子さま」癲癇のため、北村院長はじめての往診。
申込書に昭和二十一年生まれと記入する。
1970年 34歳 マルチーズ「光子さま」全犬種展で優勝。 以前に単犬種展でも優勝している。
1971年 35歳 この頃から、テレビ出演がはじまる。
すでに「東京レディス・クラブ」を経営している。
戸籍上でも本名は「鈴木公子」となっている。
マルチーズ「光子さま」が死んだと嘘をついた。
36歳頃? 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 土地は沢山不動産が買う。
1973年 37歳 「東京レディス・クラブ」で銀座のバアのマダムに挨拶している。  
38歳頃? 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。
宝石職人にロイヤルゼリーを届けに行く。
 
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 死亡。 二時以前の出来事。
夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。
昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。