その二十一 鈴木タネの話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
317 はい、私が、富小路公子の母親ですよ。
本当の母親かって、それ、どういうことなんだい?ええ、私が産みましたとも。私が、このお腹を痛めて産んだ子です。昭和十一年十月八日、檜町で八百屋をやってた頃、生れたんですよ。
昭和十一年十月八日、檜町で
実にはっきりとした証言。
檜町って、どこ?検索すると、ただひとつ「檜町公園」というのがあります。乃木坂の近くだし、このへんで正解なんだろう。
318 私が本当にあの子を産んだのかって?
どうして、そんなこと訊くのさ。戸籍見れば、はっきりそう書いてありますよ。父、鈴木国次、母、鈴木タネってね。君子が占いに凝り出して以来、私の名前は多根子って、難しい字を使うようにしているけどね。
貰いっ子だという噂がある?
父、鈴木国次
また実にはっきりとした証言。
しかしそれにしても、この鈴木タネの証言から、わが娘を失った悲しみというのは見えてこないなあ。
321 中学を卒業すると、さすがに君子も辛くなったらしい、昼間は働きに出て、夜は夜学へ通い出した。あの家の中にいると、妖怪変化みたいになってくると思ったんじゃないかねえ。簿記?なんだい、ボキってのは? 中学を卒業すると
少なくとも三月の時点では夜学に姿を見せている・・・ので、中学を卒業するという言い方がどこらへんの時期をさしているのか?
もしかして年明けとかか?この時代はどうだったんだろうか。
322 そうしたら、まあ、どうだろう。油断も隙もないってのは、このことだよ。あろうことか、あるまいことか尾藤ンちの息子が君子を手ごめにしたんだから。尾藤輝彦って名前ですよ。君子より四つ上だから、大学生になったばかりだよ、向うは。 君子より四つ上だから、大学生
鈴木君子が中学を卒業している頃、その四つ上だったら大学二年生じゃないかと思うんだが・・・大学生になったばかりということは、浪人したってこと?
328 それから二、三日たって、まだ、二人が揃って私に話があるって言うんだ。
「いろいろ当って見たのだが、宝石の買手が見つからない。アパートは中野区に見つかった。敷金と一年分のアパート代は、僕がなんとかする。後は、これだけの物を渡すから、君たちで、適当な買手を見つけてもらいたい」
ルビーの指輪。サファイアの指輪。翡翠入りの髪飾り。角ダイヤの帯止め。エメラルドと真珠の帯止め。
私はここらが手のしめどきだと思ったから、あっさり折れて出た。
宝石
色々と受取ったことになる。
おそらくこれを新橋の宝石店で金に換えたのだと思うんだが・・・
その七 大内三郎の話」によれば、サファイアとエメラルドと真珠を持ち込んだ。サファイアとエメラルドのどちらかは売らなかったのだ。
329 「とにかく、この事で母ちゃんと話したくないわ。恋愛は自由だし、美しいものなんだから、その指輪や帯止めは私が返しに行ってきます。母ちゃんの生き方に干渉しないけど、でも私はそういうやり方で生きたくないの。清く正しく、夢のある人生が私の理想なんだから」
「何を寝言みたいなこと言ってるんだ。人を見たら泥棒と思えって昔の諺があるだろう」
「渡る世間に鬼はないっていう諺もあるわ」
「君子、人がいいのもいい加減にしないか。私たち母子はあの家で只で女中をしていたんだよ」
「母ちゃんと私は親子なのに、考え方が違うのね。ともかく、宝石類は尾藤さんに返してよ。でなかったら、私はこのアパートから出て行くわよ」
折角、母と子が水入らずで暮せると思ったら、こんなことを言うもんだから、私は魂消ちまってね、君子の言う通りにしましたよ
君子の言う通りにしましたよ
この、言うとおりにした、という表現が曖昧なせいで、実際の行動がはっきりしない。
宝石は、鈴木君子が返したのか、それとも鈴木タネが返したのか?

でも、ここはやっぱり鈴木君子が預かったという展開でないと面白くないだろう。

331 それに、昔の癖は、もう出てたんだ。ある晩、君子の方が先に帰っていたとき、君子は押入れの中に隠してあったスター・ルビーや、真珠のネックレスや、ダイヤのペンダントを畳の上に置いて、私を待ちかまえていた。
「母ちゃん、これは何ですか?」
わが子ながら、怕かったねえ。初めて留置場へぶちこまれたときと同じ気持になったの覚えてるよ。十五や六の娘に裁かれてるんだもの。

(中略)

「毛糸は買って来ます。この宝石は、私が返してきます
「やくざがとぐろを巻いてる家だよ。どうやって返すのさ。およしよ、君子」
「母ちゃんが働くのをやめてから、匿名で警察が届けておけば、持主のところへ届くでしょ。上手にやるから、大丈夫よ。それより母ちゃんが怪しいと思われて、このアパートを家探しされて、これが出てきたらどうするの?」
「誰も見つけられないところへ入れといたつもりだがねえ」
「私でも見つけ出したじゃありませんか」
二の句がつげなかった。君子はそれきり中野のアパートへ戻らなくなった

この宝石は、私が返してきます
やはりここでも、鈴木君子がそのまま宝石を懐に入れたという流れでないと面白くないだろう。

それきり中野のアパートへ戻らなくなった
ここで、アパートを出た鈴木君子は、渡瀬義雄のアパートに転がりこんだわけだ。
今回、これをまとめることでこのへんがはっきりしたのは大きいなあと。

最初に読んだときは、そういう繋がりには気付かなかった。ただただ神出鬼没な女だと感じていた。

334 そうしたらさ、一年たたないうちに、あの子が赤ン坊抱いて戻ってきた。びっくらこいたね。
「誰の子だい。輝彦のやつ、お前を孕ませてやがったんだね、畜生ッ」
「お願い、母ちゃん、訊かないで。私が馬鹿だったのよ」
「男に騙されたんだろう?女が一人暮しすりゃ、こうなることにきまってるんだ。流行歌にもいうじゃないか。男はみんな狼よってよ」
一年たたないうちに
一年たたないうちに、じゃなくて二年じゃないのかなあと思うんだが。
どうなんだろう。どっかで計算間違えてるのかなあ。

男はみんな狼よ
1952年にドリス・デイが歌った曲をカバー。1953年にヒットした「ガイ・イズ・ア・ガイ」の冒頭の歌詞。歌ったのは江利チエミ。1953年の紅白で歌われていたのだから、その前に流行っていたのか?とすれば、一年ずれている?
やっぱり一年たたないうちに、という証言があってるのか?

ここにきてずれているとかなり致命的なんだが・・・

335 生れて見れば、育ててやれば、やっぱり孫というのは可愛いよ。次男の義輝は、一目で長男と種違いだと見抜けたけど、私は黙って育ててやりましたよ。君子は、産み落とすと、またバリバリ働き出したからね。不思議な躰だったね。お産の後、普通はお臍の下に茶色い筋が出るでしょう?それが、あの子は出なかったんだから。腰の形なんざ、死ぬまで処女みたいだったんだよ。自分の娘だけど、あんなに綺麗な女は、女優にもいないね。私が男なら、惚れて惚れぬいて締め殺したんじゃないかと思うよ。
(中略)
たしか義彦が小学校五年生になってたと思うけど、
「母ちゃん、長いこと苦労かけたけど、なんとか子供のためにいい環境が造れたと思うから、母ちゃんは楽をして下さい。本当に長い間、ありがとうございました」
と言って、孫二人連れて行ってしまった。
一目で長男と種違いだと見抜けた
長男義彦が尾藤輝彦の子、次男義輝が沢山栄次の子。
でも一目見ただけで見抜ける鈴木タネって。

義彦が小学校五年生
1965年。おそらくこの証言の雰囲気だと、小学五年生になったころ、という風にもとれる。

鈴木タネ、という人物は、娘を失ったわりにはあっけらかんとしている。孫を養子として籍に入れられていたことも知らなかったのだろう。
また、本当は血がつながっていない、と鈴木君子がほうぼうで吹聴していたことも知らない。
盗んだものを娘に見つけられて怒られたりと、かなり抜けた人物ではある。
正直、もっと重大な真実を知っていてほしかった。
クライマックスに向けて、何か新しい証言がほしかったところ。

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
1936年10月8日 0歳 檜町にて生まれる。 父は鈴木国次、母は鈴木タネ。
丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。
尾藤家に出入りしていた。
貰いっ子である嘘をついていた。
小学生のとき。
1951年 14歳 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 中学三年のとき。
1952年3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年春頃 15歳 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。
宝石職人のところへ出入りしはじめる。
 
1952年6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
 
1952年6月-夏? 15歳 尾藤家を出て、中野のアパートに移る。 ルビーの指輪、サファイアの指輪、翡翠入りの髪飾り、角ダイヤの帯止め、エメラルドと真珠の帯止めを得る。
1952年夏 15歳 沢山と関係をもつ。
日本橋の中華料理屋で働きはじめる。
 
1952年秋頃 15歳 渡瀬義雄と出会う。 沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年12月 16歳 中野のアパートを出る。
渡瀬義雄との同棲がはじまる。
簿記二級の試験。合格。
スター・ルビー、真珠のネックレス、ダイヤのペンダントを得る。
1953年4月 16歳 渡瀬義雄との婚姻届を出す。  
1953年春-夏? 16歳 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。
尾藤家に行った理由は宝石返却?
1953年秋 16歳 このころ、長男義彦を妊娠。  
1953年冬 17歳 宝石店を辞める。  
1954年年明け 17歳 中華料理屋を辞める。 渡瀬義雄がアパートから出て行く。
1954年夏 17歳 沢山家を訪れる。
長男義彦を産む。
部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。
部屋は七号室。
1954年秋 17歳 中華料理屋で再び働きはじめる。 本郷のアパートに住む。
林梨江との付き合いがはじまる。
1955年年明け頃 18歳 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。
養子縁組。義彦を鈴木タネの養子とした。
1955年春 18歳 このころ、次男義輝を妊娠。  
1955年春-夏? 18歳 麻布のアパートを引払う。  
1955年12月 19歳 次男義輝を産む。  
1957年春頃 20歳 尾藤家に再び出入りし始める。
宝石買取など。
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。
1957年
-1959年
21歳
-23歳
簿記一級合格??

※時期的な根拠なし。21歳-23歳の時期の数年間が空白なため。

※もしくは17-18歳の頃に合格してるか

 
1959年 23歳 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。
手切れ金として五千万円を得る。
渡瀬義雄と協議離婚。
1960年 24歳 日本橋の中華料理屋を購入。
フランス料理屋「モンレーブ」とする。
富本寛一と出会う。
 
1961年 25歳 富本寛一と交際。  
1962年春-秋? 25歳 富本寛一と結婚。 日本橋にビルを建てようと計画。
結婚して一月後には神宮前のアパートに住む。
烏丸瑤子と出会う。
1963年春-夏? 26歳 田園調布の富本家を新築。
日本橋にビルを建てる。
「富小路」の性を使い始める。
1963年秋-冬? 27歳 大内三郎と再会する。
ビル内の宝石店に引き抜く。
宝石屋を辞めて約十年後のこと。
林梨江にも声をかける。
1964年4月3日 27歳 レイディズ・ソサイエティにビジターとして現れる。  
1964年? 28歳頃? 富本寛一と離婚。 富本宮子・寛一親子は神田のアパートへ出る。
1965年 29歳頃? 長男義彦、次男義輝を田園調布に引取る。  
1967年 31歳 レイディズ・ソサイエティに入会。
マルチーズ「光子さま」癲癇のため、北村院長はじめての往診。
申込書に昭和二十一年生まれと記入する。
1970年 34歳 マルチーズ「光子さま」全犬種展で優勝。 以前に単犬種展でも優勝している。
36歳頃? 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 土地は沢山不動産が買う。
1973年 37歳 すでに女性のためのクラブを経営している。  
38歳頃? 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。
宝石職人にロイヤルゼリーを届けに行く。
 
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 死亡。 二時以前の出来事。
夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。
昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。