その十八 宝石職人の話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
273 なんでも中学に入った頃から働き出していたんだね。俺んとこへも中学生時代から来てたように思うよ。夜晩く来ることもあったが、昼日中に来ることもあってね、 中学に入った頃から
よくわからない証言。沢山の使いで来てるのだろうから、新橋の宝石店で働き始めたころから来てる、という意味なんだろうが・・・
だから、中学卒業前から来ていた、くらいの解釈だろうか。
273 「おじさん、それは、なんという石?」
「これが本当のエメラルドだよ」
「本当のエメラルド?じゃ偽物が、あるわけですか?」
「あるんだよ。チャザムって、とんでもねえ野郎が、四、五年前に本物そっくりのエメラルドを作り出した。藻まで入れちゃってよ。俺も初めてそいつを見たときゃあ、われとわが眼を疑ったね」
四、五年前に
ところがこの証言。チャザムがエメラルドの合成に成功したのが1938年。それを四、五年前というならば、この会話の時期は1942-1943年ということになる。
そうであれば、鈴木君子は6-7歳だ。
中学生のころから来ていた、という話と矛盾するし。
なんだろう。

再度検索してみると、チャザムが合成に成功したのは1935年とする記事もある。また、チャザムがそれを本物として流通させた1940年代初頭に大騒ぎになったという記事もあった。
戦争をはさんでいるので、日本に情報が入ってくるのが遅かったとか?

275 「いいとき来たねえ、君ちゃん。俺もこれは飾り甲斐がある石だと思ってよ、めり込んで作ってた台に、今やっと爪をかけ終わったとこだった」
「指にはめていい?」
「ああ、いいよ。君ちゃんには少し大きいサイズだが」
「まああ、綺麗。欲しいわ、私。ね、おじさん、今夜だけ貸して
「剣呑なこと言いなさんな。そんなお宝をなくしでもしたら、俺はえれえことになる」
「でも、この石、私に似合わない?似合うでしょう?ねえ、おじさん」
今夜だけ貸して
最初、これは重要証言だと思っていた・・・が、この時期で、どこかで宝石を見せていた様子はなく、単に宝石がかなり好きであったということを示しているだけか?
277 鈴木君子から富小路公子へ名前を変えたの?知ってるよ、俺。当人が、俺にそう言ってたもの。そうだねえ、テレビに出るより前の頃のことだがね、
「あたし、やっと本名も富小路公子に変えたのよ」
って言ってた。うん。電話帳でみると、鈴木キミ、鈴木きみ、鈴木キミ子、鈴木きみ子っていうのだけでも、東京に五十人できかないくらいいるそうだ。鈴木君子が、三十八人だとさ。
「鈴木公子なら、たった三人なの。私、まず、鈴木公子に変えようと思って区役所に行ったの。同姓同名があんまり多いからって言うのは、姓名変更の大きな理由づけになること、そこで教わったの。それで、ビル建てたとき、富小路事務所にして、富小路公子でずっと仕事してたでしょ。だから、もう通称になっているし、鈴木公子は電話帳に今では六人もいるから、姓の方も変えたいって言いに行ったら、事業上の必要に当てはまるからって、戸籍係の人がすぐ手続きとってくれたわ」
「へええ、名前変えるのが、そんなにするするいくのかねえ」
「運がいいのかもしれないわね、私。いつ行っても戸籍係の人が親切だから
戸籍係の人が親切だから
いきなり戸籍係の話なんかが出てきた。
確か他の証言でも、戸籍係を買収して改名したという記述があったような。

でも、本名「鈴木君子」のままだったんじゃないのか?

278 あの子の結婚?ああ、知ってましたよ。腹ぼてになってからは、前よりもよく来て、日がな一日、私の傍で宝石を眺め暮していた。誰と結婚したのか、あの子も言わなかったし、俺も訊かなかったね。いたいけもねえ齢の子を孕ませたなら、相当の悪だろうと思ったからね。
「胎教にね、一番いいんじゃないかと思うのよ。本物の宝石を眺めて暮すのは。だって、この世で最高のものを見ることですものね」
などと、言っていた。
その頃からだねえ、あの子が、自分で次々と色々な宝石を持って来るようになったのは。つまり、沢山さんとこのお使いで来る以外の、宝石だよ。
前よりもよく来て
長男義彦のとき、途中で宝石店と中華料理屋を辞めているので、そのあたりか?
次男義輝のときは、中華料理屋をいつまでやっていたのかとかの記述はないが、おそらく同様だったのだろう。

沢山さんとこのお使いで来る以外の、宝石
この時期、鈴木君子が入手している宝石といえば、鈴木タネから取り上げた宝石や、尾藤家に再び出入りするようになってから得た宝石だろう。
(新橋の宝石店で売り惜しんだ宝石があったりするが、そのへんは作中でうやむやになっている)

281 翡翠を椿油に浸けていて光をつける話や、ルビーやサファイアの傷には色つきの蝋で細工して無キズにして見せる技術があるんだが、そういう話を聞かせると、
「まああ。犯罪じゃないの、それは」
と、あの子は悲しそうな顔をして言ったものだよ。
犯罪じゃないの
その十七 瀬川大介の妻の話」を読めば、明らかに富小路公子はそういう犯罪をやっていたわけだ。
そのあたりの知識は、ここで得たのだろうか?
284 テレビに出るようになって、化粧が濃くなってたね。どうしても、そうなっちゃうんだろうね。その代り、ますます宝石が似合い出したね。女王様みたいだったよ。俺んちの、このボロ家によ、でけえ車で乗りつけて、
「おじさん、大急ぎで、これ、セットして、デザインはまかせるわ」
って、上等の石を無造作に置いて行くのよ。ああ、裸石だ。
上等の石を無造作に置いて行く
人の宝石をセットしなおすと言って偽者を渡す。自分のものにした宝石とかはここでセットしてもらってたのだろうか。
285 だけど、一度だけ、妙なもの持って来て妙なこと言ったことがあったな。合成石どころか青い硝子玉持ってきて、まわりを本物のダイヤモンドで囲ってくれって言うのよ。

(中略)
さめざめと泣いていたよ。だけどね、俺はちょいとばかり腑に落ちないんだ、この話は。あの子は目利きだったからね、硝子とサファイアの違いなんざ一目で分った筈なんだよ、いくら相手を信用してたとしてもね。

妙なこと
これがいつだったのかはっきりしていないが、富小路公子は、自分のパートナーになるかどうか試したのだろうか。

ここで断られたから、「その二十五 尾藤輝彦の話」にもあるように、外国で偽物を仕入れてくることになったのだろうか。

288 俺と最後に会った日は、用事じゃなくて、ロイヤル・ゼリーを届けに来ただけで、指には最高級の八カラットのダイヤモンドをはめてましたよ。

(中略)
それから三日となかったね。死んだのは。仰天したというより、信じられなかったよ。そういえば、女の子がほしいと言ってたなあ、あんときゃあ馬鹿に影が薄かったなあと思ったよ、うん。

影が薄かった
いまいち意図がわからないエピソード。
結末をはっきり決めていたわけではなくて、伏線になるかもという感じで書かれたのだろうか・・・
女の子がほしい、という話は、「その十 林梨江の話」にもあるが。

あ、違うな。これは次の「その十九 北村院長の話」へつなげるひっかけだ。

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。
尾藤家に出入りしていた。
貰いっ子である嘘をついていた。
小学生のとき。
1951年 14歳 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 中学三年のとき。
1952年3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年春頃 15歳 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。
宝石職人のところへ出入りしはじめる。
 
1952年6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
 
1952年夏 15歳 沢山と関係をもつ。
日本橋の中華料理屋で働きはじめる。
 
1952年秋頃 15歳 渡瀬義雄と出会う。 沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年12月 16歳 渡瀬義雄との同棲がはじまる。
簿記二級の試験。合格。
 
1953年4月 16歳 渡瀬義雄との婚姻届を出す。  
1953年春-夏? 16歳 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。
尾藤家に行った理由は宝石返却?
1953年秋 16歳 このころ、長男義彦を妊娠。  
1953年冬 17歳 宝石店を辞める。  
1954年年明け 17歳 中華料理屋を辞める。 渡瀬義雄がアパートから出て行く。
1954年夏 17歳 沢山家を訪れる。
長男義彦を産む。
部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。
部屋は七号室。
1954年秋 17歳 中華料理屋で再び働きはじめる。 本郷のアパートに住む。
林梨江との付き合いがはじまる。
1955年年明け頃 18歳 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。
養子縁組。義彦を鈴木タネの養子とした。
1955年春 18歳 このころ、次男義輝を妊娠。  
1955年春-夏? 18歳 麻布のアパートを引払う。  
1955年12月 19歳 次男義輝を産む。  
1957年春頃 20歳 尾藤家に再び出入りし始める。
宝石買取など。
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。
1957年
-1959年
21歳
-23歳
簿記一級合格??

※時期的な根拠なし。21歳-23歳の時期の数年間が空白なため。

※もしくは17-18歳の頃に合格してるか

 
1959年 23歳 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。
手切れ金として五千万円を得る。
渡瀬義雄と協議離婚。
1960年 24歳 日本橋の中華料理屋を購入。
フランス料理屋「モンレーブ」とする。
富本寛一と出会う。
 
1961年 25歳 富本寛一と交際。  
1962年春-秋? 25歳 富本寛一と結婚。 日本橋にビルを建てようと計画。
結婚して一月後には神宮前のアパートに住む。
烏丸瑤子と出会う。
1963年春-夏? 26歳 田園調布の富本家を新築。
日本橋にビルを建てる。
「富小路」の性を使い始める。
1963年秋-冬? 27歳 大内三郎と再会する。
ビル内の宝石店に引き抜く。
宝石屋を辞めて約十年後のこと。
林梨江にも声をかける。
1964年4月3日 27歳 レイディズ・ソサイエティにビジターとして現れる。  
1964年? 28歳頃? 富本寛一と離婚。 富本宮子・寛一親子は神田のアパートへ出る。
1965年 29歳頃? 長男義彦、次男義輝を田園調布に引取る。  
1967年 31歳 レイディズ・ソサイエティに入会。 申込書に昭和二十一年生まれと記入する。
36歳頃? 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 土地は沢山不動産が買う。
38歳頃? 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。
宝石職人にロイヤルゼリーを届けに行く。
 
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 死亡。 二時以前の出来事。
夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。
昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。