その十七 瀬川大介の妻の話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
260 そやから烏丸さんと麻雀やって、それで富小路さんを知ったというわけ。初対面のときはねえ、大らかな麻雀で、お姫さまが一人入ってるみたいに思いましたわ。若いのには驚きましたねえ。美人ってこたないけど、あれは男好きのする子だと私は初から見抜いてた。そやから、烏丸さんが、
「お公はいい年して、結婚してないんだよ。金儲けに夢中で、処女らしいんだよ。あんた、なんとかしてやってよ」
なんて仰言ったけど、私は本気にしなかった。あの手の女を、男がほっとく筈ないもの。

(中略)

そやけどね、決して勝とうとしないのに気がついたのは、そうやねえ、あの人が死ぬ一年も前かしら。そやから、やっぱり七、八年は騙されてたってことになるんやわねえ。

七、八年は騙されてたってことに
富小路公子の入会時期と、死亡時期の間に十年弱あるので、確かに合致してるのだが・・・烏丸瑤子が来なくなったのと同時に富小路が入会してるのだから、ちょっとおかしくないか。
富小路公子がビジターで来てるころのエピソードということか?
267 見て下さいよ、このエメラルド。八千万円で現金出して買うたんです。あの女が死んだ後で心配になったから、ミキモトへ持って行って見てもらったらさ、
「奥さま、これはチャザムのエメラルドでございます」
って、言うじゃない。
「なんですか、チャザムって」
「チャザムという人が合成に成功したのでそう呼ばれております。硬度も藻の入り具合も本物そっくりなんでございますけど、重さが違います」
「偽物なの?」
「はい、まわりのダイヤモンドは本物でございますけれど」
「ねえ、チャザムってのは、いくらぐらいするものなの」
「さようでございますねえ、これくらい大きければ結構お高いんでございますよ。十万円はするんじゃございませんかしら。私どもの店では扱っておりませんが」
私は血圧が高いさかい、ぶっ倒れて死ぬかと思いましたがな。十万円のものを八千万円で買うてたんやもん。
チャザムのエメラルド
宝石について、しばらく触れる記述がなかったのだが、ここにきて復活。

1938年にチャザムが世界で初めてエメラルドの合成に成功。ゆえにチャザムのエメラルドという名前で合成方法が広まっていった。

でも、1938年ていうと、ずいぶん昔になる。
チャザムは1958年にルビーの合成にも成功しているんだが、これが何か影響を与えていないか?

あ、違うな。富小路公子が子供のころ、宝石職人にチャザムのエメラルドの存在を教えられるのだったな。
だから、1938年のことでいいのだ。

269 それより、もっと怖ろしいのは、指輪に直してもらった翡翠は、ただの玉を油につけた偽物になっていたのと、サファイアの方は、色も形も同じだけど、合成石どころか、ただの硝子だって
「まわりのダイヤモンド・フレアは、本物でございますのよ。奥さまがはめていらしたら誰も偽物とはお思いになりませんでしょう。失礼ですが、外国でお求めになりました?」
「いいえ、あの日本橋のモンレーブで買ったの」
「ああ、このところ、ちょくちょく皆様こちらへおいでになります。奥さまも東京レイディズ・ソサイエティの会員でいらっしゃいます?」
「いえ、私は会員じゃないんだけど。あのォ、会員で、やっぱり私みたいなもの買わされてた人たちがいるんですか?」
「それはもうお気の毒で、とてもお名前を申上げることができません」
ただの硝子だって
よくわからないのは、宝石が偽物だったとして、富小路公子がなぜ、そんな危ない橋を渡る必要があったのかということだ。
偽物を渡して、本物をもらいたいため?
お金儲け?

よくわからん。
地価高騰を見越して先手打って、それ以外はまっとうに利益をあげているように見えて、なぜ宝石詐欺をやらなければならなかったのか・・・?

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。
尾藤家に出入りしていた。
貰いっ子である嘘をついていた。
小学生のとき。
1951年 14歳 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 中学三年のとき。
1952年3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年春頃 15歳 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。  
1952年6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
 
1952年夏 15歳 沢山と関係をもつ。
日本橋の中華料理屋で働きはじめる。
 
1952年秋頃 15歳 渡瀬義雄と出会う。 沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年12月 16歳 渡瀬義雄との同棲がはじまる。
簿記二級の試験。合格。
 
1953年4月 16歳 渡瀬義雄との婚姻届を出す。  
1953年春-夏? 16歳 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。
尾藤家に行った理由は宝石返却?
1953年秋 16歳 このころ、長男義彦を妊娠。  
1953年冬 17歳 宝石店を辞める。  
1954年年明け 17歳 中華料理屋を辞める。 渡瀬義雄がアパートから出て行く。
1954年夏 17歳 沢山家を訪れる。
長男義彦を産む。
部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。
部屋は七号室。
1954年秋 17歳 中華料理屋で再び働きはじめる。 本郷のアパートに住む。
林梨江との付き合いがはじまる。
1955年年明け頃 18歳 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。
養子縁組。義彦を鈴木タネの養子とした。
1955年春 18歳 このころ、次男義輝を妊娠。  
1955年春-夏? 18歳 麻布のアパートを引払う。  
1955年12月 19歳 次男義輝を産む。  
1957年春頃 20歳 尾藤家に再び出入りし始める。
宝石買取など。
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。
1957年
-1959年
21歳
-23歳
簿記一級合格??

※時期的な根拠なし。21歳-23歳の時期の数年間が空白なため。

※もしくは17-18歳の頃に合格してるか

 
1959年 23歳 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。
手切れ金として五千万円を得る。
渡瀬義雄と協議離婚。
1960年 24歳 日本橋の中華料理屋を購入。
フランス料理屋「モンレーブ」とする。
富本寛一と出会う。
 
1961年 25歳 富本寛一と交際。  
1962年春-秋? 25歳 富本寛一と結婚。 日本橋にビルを建てようと計画。
結婚して一月後には神宮前のアパートに住む。
烏丸瑤子と出会う。
1963年春-夏? 26歳 田園調布の富本家を新築。
日本橋にビルを建てる。
「富小路」の性を使い始める。
1963年秋-冬? 27歳 大内三郎と再会する。
ビル内の宝石店に引き抜く。
宝石屋を辞めて約十年後のこと。
林梨江にも声をかける。
1964年4月3日 27歳 レイディズ・ソサイエティにビジターとして現れる。  
1964年? 28歳頃? 富本寛一と離婚。 富本宮子・寛一親子は神田のアパートへ出る。
1965年 29歳頃? 長男義彦、次男義輝を田園調布に引取る。  
1967年 31歳 レイディズ・ソサイエティに入会。 申込書に昭和二十一年生まれと記入する。
36歳頃? 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 土地は沢山不動産が買う。
38歳頃? 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。  
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 死亡。 二時以前の出来事。
夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。
昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。