その十四 富本寛一の話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
205 水曜日と日曜日が彼女の休む日だということに気がついたのは、名刺がなくなる頃と前後していたと思います。
「水曜日は何してるの?デート?」
「まああ。学校に行ったりしてますの」
「学校?」
「ええ、千駄ヶ谷で英語を少しだけ。でも週一度では語学は無理ね。フランス語も習いたいんですけれど、時間がなくて」
水曜日と日曜日が彼女の休む日
その二十四 長男義彦の話」にあるが、水曜日は中野の子供たちを訪れる日だった。

日曜日は何だろう。

207 それから彼女は、眼からあふれ落ちる涙をハンカチで押さえていました。
「私が誰の子で、どんな育ち方をしたのか、何も知らないで、結婚なんて、無茶じゃないこと?」
「なんでも構わない。初めて見たときから好きだった」
「私も」
「こう言われたとき意外で、僕は、断られても押しの一手で押しまくるつもりだったから、どうしていいか分らなくなった。
その日から、彼女を母のところへ連れて行くまで一年かかりました。接吻も彼女は拒否したのです。
「嫌よ、私、そういう女じゃないわ」
赤線がなくなって三年たっていました。僕はもちろん童貞ではなかったけれども、彼女の拒絶は僕に安心というものを植えつけていたのです。
一年かかりました
どういうことだったんだろうか。
接吻もかたくなに拒否するところとか、このエピソードの理由がいまいちつかめない。
他の男と別格だったことを示してるんだろうか。

赤線
戦後、GHQが売春の制限のために設けた境界線。地図上に赤い線で引かれたので赤線と呼ばれた。
1958年(昭和三十三年)、売春防止法施行とともに廃止された。
ここでは赤線がなくなって三年と言っている。つまり、1961年のころか。

209 新婚旅行で、僕らは初めて結ばれたのですが、あのときほど驚いたことはありません。彼女が、大声を出すんです。乳房にふれたとき、もう泣き始めていました。敏感というのか、どこを触っても逃げようとするし、声が大きいし、初夜は、僕も夢中だったけど、しかし鶯を鳴かせるとかいうのは、このことだったのかと思いました。僕の経験した商売女ではそんなことなかったですから。 敏感というのか
たびたび出てくるこのエピソード。他の男に対しても同様の質問がされる理由は、この富本寛一のみ反応が違うからだろう。
ただ、これが何を意味しているのかは、いまいちはっきりせず終っているような気が。
211 僕は、諦めるより仕方がなかった。ラグビーで鍛えた躰だし、若かったし、それが家の中で、横にいる妻に手が出せないっていうのは苦痛ですよ。
(中略)
「じゃ、アパート買っときましょうか。いつでも二人で寄れる場所を、日本橋と田園調布の恰度まん中ぐらいに」
(中略)
「あなた、私のこと、あの店で働いてると思ってらしたみたいね。お母さまなんて、初めはウェイトレスかと思ったら、レジしてらっしゃるんですってねって仰言るのよ」
「僕も、そう思ってた」
「レジやウェイトレスの給料では、帝国ホテルの宴会はやれませんよ」
「君、貯金って言ってたじゃないか」
「ですから、それだけの貯金はたまらないって申上げてるのよ」
アパート買っときましょうか
ここは、富小路公子の言動の中でも白眉だと思う。
すべて、天然ではなく意図があって喋ってるんだと思いたい。その方が面白いと思う。

田園調布をホワイトハウスみたいにして、自分のものにする計画のスタート地点となっている。
あらかじめアパートを買わざるをえない状況にして、そして同時に富本寛一に劣等感を抱かせている。

有吉佐和子節が炸裂していると思うのだが、どうだろう。

212 「あの店、君の店だったのか」
「ええ、働きながら簿記の学校に行ってたのよ、実は。夜学で」
水曜日が簿記の勉強だったのかい?
「いいえ、簿記はもう一級まで卒業してしまって、税理士の資格があるのよ、私。だって、中卒だけじゃ、いいところで働けなかったもの。だから、あの店が中華料理屋だった頃、昼間はあそこで働いて、夜は、三年間神田の簿記の学校に通ってたの。

(中略)

だから、私の貯金と、私の生命保険を担保にして借金して、それで買ったのよ」
「生命保険って、担保にできるの?」
「できるわよ。二千万借りられたわ。私が若かったのと、お客の信用があったことが元手になったのね」
(中略)
神宮前にあるアパートは、僕の生命保険を担保にして、買ったのは事実ですが、当時で千五百万もするマンションが買えたのは、保証人が富本公子になっていたからだということには、随分長い間、気がつきませんでした。

(中略)

彼女が、その頃、自家用車を持っていることも知らなかった。

水曜日が簿記の勉強だったのかい?
有吉佐和子節炸裂は続く。
水曜日は子供たちに会う日なのだが、それをさらりとかわしている。
三年間学校に通って一級まで卒業しているというのは、事実としていいのだろうか?

当時で1500万するアパートということは、一億以上なわけだ。車も持っていたので、当時としてはかなり裕福だったことがわかる。

217 発端は、お聞きになったと思いますが、彼女と二人で歩いているとき、
「あら、渡瀬さんじゃないの?お久しぶりねえ」
「まああ」
「坊っちゃん大きくおなりでしょうねえ。あれから何年になるのかしら。うちの子が今は中学生だから、きっと四年生ね、義彦ちゃんは。お元気?」
「おかげ様で」
「一度ゆっくりお目にかかりたいわ。急ぎますから、またね」
「はい、私も急いでますの、ご免遊ばせ」
僕は耳を疑って、中年女が公子に話しかけるのを聞いていました。坊っちゃん?四年生?それに公子を鈴木さんとは呼ばなかった。
「誰と間違えたのかしら、変った方ね」
「知らない女だったのかい?」
「ええ」
「それじゃ違いますって言えばいいじゃないか」
「だって、あんなに喜んでらっしゃるのに、違うと言ったらお気の毒でしょ?」
彼女は平然としていましたが、僕は釈然としなかった。
中年女
これって、「その六 里野夫人の話」の里野夫人ですかねえ。
それだったら、あの時点でこのエピソードを話してもよさそうなもんだが。

富本寛一に出会う時点では、鈴木君子から鈴木公子へ変えていたことが確定している。

223 再婚してから、ワイフがテレビに出ている彼女のファンになったのには参りましたが、ワイフのファンレターを見た彼女から、会社に電話がかかり、
「お幸せなのね。羨しいわ。お目にかかりたいけれど、お食事御一緒に、いかが?」
と言われましたが、僕は、そんなことをしたら、きっと昔と同じ関係に戻って、今度は妻子をも泣かせることになると思って断りました。
「まだ許して下さらないの?私は、あなた以外の誰も愛したことがないのに」
彼女が泣いているのが分りましたが、ここが男の我慢だと思って、非情な電話の切り方をしました。
まるで「その一 早川松夫の話」と同じような展開。

富本寛一は、やはり富小路公子のことを悪女だとはしていないけれども、再婚相手のことを思って誘いを断るあたり誠実なキャラクターなのだろう。
ただ、生活力のある妻に劣等感をいだくなど、ややうっとうしい性格でもある。

いずれにしても、富小路公子は、田園調布の屋敷を手に入れるために富本寛一と結婚したんでしょうかねえ、どうなんでしょうか。

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。
尾藤家に出入りしていた。
貰いっ子である嘘をついていた。
小学生のとき。
1951年 14歳 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 中学三年のとき。
1952年3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年春頃 15歳 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。  
1952年6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
 
1952年夏 15歳 沢山と関係をもつ。
日本橋の中華料理屋で働きはじめる。
 
1952年秋頃 15歳 渡瀬義雄と出会う。 沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年12月 16歳 渡瀬義雄との同棲がはじまる。
簿記二級の試験。合格。
 
1953年4月 16歳 渡瀬義雄との婚姻届を出す。  
1953年春-夏? 16歳 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。
尾藤家に行った理由は宝石返却?
1953年秋 16歳 このころ、長男義彦を妊娠。  
1953年冬 17歳 宝石店を辞める。  
1954年年明け 17歳 中華料理屋を辞める。 渡瀬義雄がアパートから出て行く。
1954年夏 17歳 沢山家を訪れる。
長男義彦を産む。
部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。
部屋は七号室。
1954年秋 17歳 中華料理屋で再び働きはじめる。 本郷のアパートに住む。
林梨江との付き合いがはじまる。
1955年年明け頃 18歳 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。
養子縁組。義彦を鈴木タネの養子とした。
1955年春 18歳 このころ、次男義輝を妊娠。  
1955年春-夏? 18歳 麻布のアパートを引払う。  
1955年12月 19歳 次男義輝を産む。  
1957年春頃 20歳 尾藤家に再び出入りし始める。
宝石買取など。
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。
1957年
-1959年
21歳
-23歳
簿記一級合格??

※時期的な根拠なし。21歳-23歳の時期の数年間が空白なため。

※もしくは17-18歳の頃に合格してるか

 
1959年 23歳 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。
手切れ金として五千万円を得る。
渡瀬義雄と協議離婚。
1960年 24歳 日本橋の中華料理屋を購入。
フランス料理屋「モンレーブ」とする。
富本寛一と出会う。
 
1961年 25歳 富本寛一と交際。  
1962年春-秋? 25歳 富本寛一と結婚。 日本橋にビルを建てようと計画。
結婚して一月後には神宮前のアパートに住む。
1963年春-夏? 26歳 田園調布の富本家を新築。
日本橋にビルを建てる。
「富小路」の性を使い始める。
1963年秋-冬? 27歳 大内三郎と再会する。
ビル内の宝石店に引き抜く。
宝石屋を辞めて約十年後のこと。
林梨江にも声をかける。
1964年? 28歳頃? 富本寛一と離婚。 富本宮子・寛一親子は神田のアパートへ出る。
1965年 29歳頃? 長男義彦、次男義輝を田園調布に引取る。  
36歳頃? 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 土地は沢山不動産が買う。
38歳頃? 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。  
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 死亡。 二時以前の出来事。
夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。
昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。