その八 沢山夫人の話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
106 二十二、三年も前といえば、あの子は十代ですよ
(中略)

だけど、あの女だけが、その境界を破って、私どもの家にちょくちょく出入りしていたんです。
その頃は、年齢から言っても少女みたいなものでしたし、よく気のきく子で、私も印象は悪くありませんでした。あの子が宝石を持って、応接間の、ちょうどあなたがお坐りになっているところへ、チョコンと坐って、主人の帰りを待っていたこともよくありました。

二十二、三年も前といえば、あの子は十代ですよ
連載時期が1978年。二十四年前であれば、鈴木君子は17歳で、長男義彦を産んだころ。

鈴木君子は宝石職人のほか、沢山家にも訪れていたことがわかる。

111 随分言いあったものですが、あの女のことだけは、主人も白を切りぬきましたね。
「社員だよ、君、あの女は。第一だ、手をつけた女を自分の家に呼ぶ間抜けがいるものか。あの子は若い割にはしっかり者だ。新橋の店がしまうと、夜学へ行って、簿記は二級の資格をとっているという感心な子なんだ。一級も合格して税理士の資格を取るつもりで、今も猛烈に勉強している子なんだよ。

(中略)

あの子の指を見たかい?あのしなやかな白い指にはめると、その宝石も百万は高く売れるんだ。

(中略)

新橋の番頭たちにも知られたくない品は此処へ持ってこさせていたんだが」

一級も合格して税理士の資格を取るつもり
鈴木君子は、簿記二級まで合格しているのは確定なんだが、どうも一級を合格しているのかが不明。
そういう記述がない(もちろん、本人が資格を持っていると話す場面はあるが、それを信用できるのか?という話)。

その一 早川松夫の話」によると、一級は丸一年かかってやっと取得できたという。もし鈴木君子に、集中して勉強するチャンスがあるとすれば働くのを中断して義彦を出産する頃となるが。

あのしなやかな白い指
百万は高く売れる。現在の価値にして1000万は高く売れるという指。ほほお、たいしたもんである。

112 あるとき、あの人が、そうですね、半年もたっていたかしら、もっとたっていたかしら。ともかく、一人でやって来たんです。こんな大きなお腹で、ですよ。もちろん私は三人子供を産んでますから臨月間近だということは分りましたわ。 半年もたっていた
まあ具体的な記述ではないが、1954年夏頃に出産と仮定しているので、1953年秋頃に沢山家に来なくなって、1954年春頃に一人でやってきたことにしますか。
116 「君ねえ、君。どういうつもりで家へ来たんだ。子供のことなど、僕は知らんぞ。誰の子だか、分るものか」
それまで黙っていたあの女が、そのとき突き刺すように冷たい声で、こう言ったのを覚えています。
あなたの、子供です。それだけは、はっきりしています。いくら奥さまの前だからといって、仰言っていいことと悪いことがあるんじゃございません?そういうことを仰言るのでしたら、私、出るところへ出て、はっきりさせますわ。奥さま、ご免遊ばせ。奥さまは御主人さまが卑怯な男だとは思ってらっしゃらなかったんじゃありませんかしら。私も、たった今まで、そんな方ではないと思ってました」
あなたの、子供です
富小路公子は悪女なのかどうなのか。
天真爛漫に生きて、悪意があったのかどうかは不明だが、この瞬間のどこが天真爛漫かといいたくなるような場面。

根拠がないようなことをずばりと言い切る。かっこいいんだかなんだか。
最後まで読めば、どうみても尾藤輝彦の子だが・・・
生まれてみてわかることだし、このとき、鈴木君子は沢山の子供だと信じて疑わなかったのだろうな。

悪女だよ、この人は。

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。
尾藤家に出入りしていた。
貰いっ子である嘘をついていた。
小学生のとき。
1951年 14歳 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 中学三年のとき。
1952年3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年春頃 15歳 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。  
1952年6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
 
1952年秋頃 15歳 日本橋の中華料理屋で働いている。
渡瀬義雄と出会う。
沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年12月 16歳 渡瀬義雄との同棲がはじまる。
簿記二級の試験。合格。
 
1953年4月 16歳 渡瀬義雄との婚姻届を出す。  
1953年春-夏? 16歳 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。
尾藤家に行った理由は宝石返却?
1953年秋-冬? 17歳 宝石店を辞める。  
1954年年明け頃 17歳   渡瀬義雄がアパートから出て行く。
1954年春? 17歳 中華料理屋を辞める。
沢山家を訪れる。
 
1954年夏頃 17歳 長男義彦を産む。 部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。
1955年年明け頃 18歳 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。
1955年春-夏? 18歳 麻布のアパートを引払う。  
1957年春頃 20歳 尾藤家に再び出入りし始める。
宝石買取など。
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。
1959年 23歳 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。
手切れ金として五千万円を得る。
渡瀬義雄と協議離婚。
27歳頃? 大内三郎と再会する。
ビル内の宝石店に引き抜く。
宝石屋を辞めて約十年後のこと。
36歳頃? 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 土地は沢山不動産が買う。
38歳頃? 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。  
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 死亡。 二時以前の出来事。
夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。
昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。