その七 大内三郎の話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
90 僕が初めて知ったのは、新橋駅の傍にある宝石店に勤めていたときですが、あの人も、その店で働いていたんです。 新橋駅の傍にある宝石店
沢山栄次の経営する宝石店。
94 宝石職人のところへ持って行くことになるのですが、その使いは、いつも彼女の役目でした。
僕は値段が値段ですから、万一のことを思って心配で、店を閉うときなどは従いて行こうかと言ったものですが、
「いいのよ、学校のすぐそばなんですもの」
と彼女はけろりとして言うんです。
「学校?」
「ええ、神田の夜学に通っているのよ、私」
「英語?」
「まあそうね」
どうも英語ではないようでしたが、あまり話したがらないし、僕も深くは訊きませんでした。
宝石職人
その十八 宝石職人の話」の宝石職人のことかと思われる。

その場所は、神田神保町のそばだということがわかる。

95 ええ、鈴木って言ってました、その頃は。
僕は今だから言いますが、一年ほどたって、彼女から、
「私、結婚したの。渡瀬って苗字になったのよ。もう鈴木って呼ばないで」
と言われたときはショックでした。
番頭に、三つも四つも宝石を持って来るようになったのも、その頃です。
主人の母が、いい値で売れたらって言うんですけど、これ、どうかしら」
一年ほどたって
1952年春には宝石店で働きはじめている。
1953年4月に渡瀬義雄との婚姻届を出しているので、ぴったり合致するな。

主人の母が、いい値で売れたらって
この頃に持っている可能性のある宝石は、尾藤家から鈴木タネが受取った宝石なんだが・・・
その六 里野夫人の話」のとこでも書いたが、おそらく里野夫人の前で宝石を見せてた後で、売るために持ちこんだのだろうな。

96 「そうだねえ、そのサファイアは五十万円、エメラルドは六十万円、真珠は九千円というところだが、どうだね」
(中略)
四、五日して、番頭に宝石を渡して、現金を貰っていましたが、百万円以下の金額でしたから、エメラルドかサファイアか、どちらかは売り惜しんだのでしょう。
いや・・・「その二十一 鈴木タネの話」によると、尾藤家から受取った宝石は、返しているのか。
その後、鈴木タネが仕事先でくすねた宝石を、鈴木君子が自分のものにした可能性がある。

ここで、サファイアとエメラルドと真珠を持ち込んでいて、サファイアかエメラルドどちらかを売らなかったことは、何かの鍵になってるのかな?

97 僕が、変だと思ったのは、その家の大きさよりも表札が渡瀬ではなかったことなんです。伊藤じゃない、加藤じゃない、そう、尾藤という苗字が、古びた門柱の古びた表札に書かれてあったのです。

(中略)
「尾藤というのは、渡瀬の母の実家なんです。渡瀬の家は青山の方で戦災に遭ったものだから、私たち尾藤家に居候しているの。姑の方は、まだ疎開先から動かないのよ。家がないものだから。早く主人と一軒家を構えないと困るの。だから私も共働きをしているのよ」
と澱みもなく説明してくれました。一点の疑いを投げかける余地もありませんでした。

尾藤という苗字が、古びた門柱の古びた表札に
さあこれだ。こいつが謎なんだ。
渡瀬義雄と籍を入れているということは、尾藤家から出たかなり後のことだ。なのに、なぜここで尾藤家に入って行くのか。
よくわからん。作者がミスをしたのではないかと思いたくなる。ここの証言、「一年ほどたって」→「結婚して姓が変った+宝石を持ってくるようになった」となっていて、この一年たっている事実を見逃してしまったのではないのか。

もし強引に通すとしたら、まず「その二十一 鈴木タネの話」にて、尾藤家から受取った宝石は、鈴木タネによってではなく鈴木君子から返されたということにする。そして、この尾藤家に訪れたときは、宝石を返しに行ったとき、とするしかないと思う。
つまり売らなかった宝石を返しに行ったとする考え方だ。

苦しいな・・・でも、やっぱり作者はミスをしたんじゃないのかなあ。

98 しかし間もなく、僕は彼女が夜学をやめたかわりに、別のところで働いているのではないかと思うようになりました。店閉いがはじまると飛出すように帰ってしまうからです。

(中略)
「小さな店だが、日本橋の方に中華料理屋を経営しているようだよ」
「えッ?」
「ボスが、食事に行って見つけたらしい。レジに坐って、なかなかしっかりしたものだと言っていた」

日本橋の方に中華料理屋を経営している
これもよくはっきりしない。沢山栄次のジョークなんだろうかね。
99 ええ、間もなく彼女は、その宝石店を辞めました。どういう理由でやめたのか、番頭も知らなかったようで、
「あっちの店が忙しくなったのだろう」
と言うものですから、人の女房だというのに未練がましく日本橋の中華料理屋を覗きに行ったのですが、彼女の姿が見えません。
中へ入って、
「あの、渡瀬さんはお休みですか」
と訊くと、店の連中が妙な顔をするので、
「いつも此処に坐っている人ですよ」
と言うと、
「ああ、鈴木さんなら、やめたんです」
「え、やめた?この店は彼女のお店じゃないんですか?」
「違いますよ。とんでもない、鈴木さんは夜だけアルバイトに帳簿をつけに来ていたんです」
と言われて茫然としました。
宝石店を辞めました
その九 沢山栄次の話」に詳しいが、お腹が大きくなるのが目立つ時期にやめたとある。

中華料理店のほうでは鈴木と名乗ったままで、宝石店では結婚して渡瀬になったと言う。
なぜだろうか。

102 日本橋の指定されたところは、かつて渡瀬さんが働いているとか経営しているとかいわれていた場所で、そこには立派な十階建ての鉄筋コンクリートのビルディングが立っていました。その七階に、エレベーターの前に、「富小路」という表札のようなものを出したドアがあったのです。それをノックして来意を告げると、行儀のいい秘書らしい若者が応接間へ僕を通しました。天井からシャンデリアが夥しく吊下っていたのが第一の印象でした。
「大内さん、お懐しゅう」
向うのドアから、昔と少しも変らない渡瀬さんが現れたのには驚き、呆然としました。
持って来た宝石は、ちらと見ただけで、
「全部頂くわ。それよりあなた、このビルの中で宝石屋を開くことにしたのだけれど、責任者になって下さらないこと?」
立派な十階建ての鉄筋コンクリートのビルディング
これも後で出てくるが、日本橋の中華料理店を沢山から買い、まわりの土地も買ってそこにビルを建てた。
うーん相当な資金が必要になるでしょうな。
104 あの日のことは、僕はよく分りません。ご覧のようにこの店はビルの東側でして、事件があったのは北側ですから。社長が死んだという報らせは昼食をすませて、この同じビルの中に豪華なレストランも、簡易食堂もあるのですが、僕は妻子を持つ身ですから、廉い方のランチをとって、伝票に目を通していたときでした。腕時計を見て、かっきり二時だったのを覚えています。 かっきり二時だった
その一 早川松夫の話」では、夕刊に死亡事故が載っていたということだが、それが二時以前だったことがわかる。
104 ダイヤモンド?それは極上の品ばかり揃えてございます。亡くなった社長の方針で、アメリカのGIA基準で申せば、透明度VS1以下のものは、決して扱わないようにしております。社長は、最高に美しいものばかい、お好きでした。亡くなった後、週刊誌が、富小路公子はインチキは宝石を売っていたと書いたのは、本当に我慢がなりません。どうぞ、よくごらんになって下さい。 GIA
Gemological Institute of America(米国宝石学会)のこと。
Gemologicalとは、宝石学のことだそうで。
GIAは4C(カラー、カット、カラット、クラリティ)を考案した非営利団体。
その4Cとは、ダイヤモンドの世界的品質基準なんだそうで。

まあ、受け売りというかコピペというか。勉強になりますな。

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。
尾藤家に出入りしていた。
貰いっ子である嘘をついていた。
小学生のとき。
1951年 14歳 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 中学三年のとき。
1952年3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年春頃 15歳 昼間、沢山の宝石店に働きに出る。  
1952年6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
 
1952年秋頃 15歳 日本橋の中華料理屋で働いている。
渡瀬義雄と出会う。
沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年12月 16歳 渡瀬義雄との同棲がはじまる。
簿記二級の試験。合格。
 
1953年4月 16歳 渡瀬義雄との婚姻届を出す。  
1953年春-夏? 16歳 宝石を持ち込む。一部を残して売り、大内三郎に送ってもらい尾藤家へ。 エメラルド、サファイアのうちどちらかを残して売った。
尾藤家に行った理由は宝石返却?
1953年秋-冬? 17歳 宝石店を辞める。  
1954年年明け頃 17歳   渡瀬義雄がアパートから出て行く。
1954年春? 17歳 中華料理屋を辞める。  
1954年夏頃 17歳 長男義彦を産む。 部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。
1955年年明け頃 18歳 麻布のアパート(渡瀬義雄のアパート)に戻ってくる。 義彦はすでに鈴木タネが預かっている。
1955年春-夏? 18歳 麻布のアパートを引払う。  
1957年春頃 20歳 尾藤家に再び出入りし始める。
宝石買取など。
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。
1959年 23歳 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。
手切れ金として五千万円を得る。
渡瀬義雄と協議離婚。
27歳頃? 大内三郎と再会する。
ビル内の宝石店に引き抜く。
宝石屋を辞めて約十年後のこと。
36歳頃? 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 土地は沢山不動産が買う。
38歳頃? 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。  
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 死亡。 二時以前の出来事。
夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。
昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。