その五 渡瀬小静の話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
63 「義雄が、け、結婚してたんですよ」
「え?」
主人は老眼鏡を外して、細かい字を読みました。
「昭和二十八年といえば、大学を卒業した年じゃないか」
入社早々ですよ、日附けは
入社早々ですよ、日附けは
その四 渡瀬義雄の話」でもあったが、やはり1953年(昭和二十八年)に婚姻届が出されていたのだ。
早々という言い方から、4月と決めてしまいましょう。
70 あの人が、鰐皮のハンドバッグを開けて、なんですか小さな銀色の丸いものを取出したとき、私は変った時計か何かだと思ったんですけれど、そこから白い錠剤を取出して口に含んで、なにげない顔でお茶で飲み下してしまったのです。
(中略)
あの人が、急に前にのめって倒れたとき、私もびっくりしましたが、主人はやはり男ですね、咄嗟に気がついたらしくて、
「おいッ、お前さっき飲んだのは何だ?」
(中略)
救急車が着く頃は、嫁の実家からも、媒酌人のとこからも、人が集まって来てましたから大変です。それでなくても、田舎の小さな町中で、救急車を呼んだとなれば新聞社じゃなくても、大事件なんですから。だってそうでしょう、一週間ばかり前に結婚式をした家に、女が飛びこんで来て毒を飲んだでは、もう噂は押さえようがありませんよ。
一週間ばかり前に結婚式
渡瀬義雄が結婚したときって、いつなんだろうか。
その四 渡瀬義雄の話」では、鈴木君子が義彦を産んで後、五年たったとき、とある。そのとき渡瀬義雄は「30歳近くなっていた」のだから、28-29歳か。
1959年か。そうすれば六年前に婚姻届が出ていたのでぴったり。

「もう噂は押さえようがありませんよ」って、またまた有吉節が炸裂していますな。

71 でも弁護士さんは、事のあらましを聞いただけで、
「たちの悪いのにひっかかったもんだ。災難と思うしかないでしょうな。婚姻届があって子供が二人いて、六年もたっているのを、知らなかったでは通りにくいですよ。血液型は長男がAB型で次男がB型だと言っていたそうですよ。義雄君がB型で、女がAB型ですから、争えないです。訴訟で時間かけても男の方が不利ですから、金で解決するよりないでしょうな」
と、すぐ言いました。
「でも、死ぬような人が、お金で得心するものでしょうか」
「なに、狂言ですよ。本当に死ぬ気なら、誰もいないところで薬を飲むものです。こちらに迷惑をかけるのが目的なんだから、情にほだされないように、もう会わないようになさった方がいいでしょう」
女がAB型
鈴木君子の血液型の記述が出てくるのはここだけか。
へーAB型なんですか。
73 私は信じられませんでしたよ。ただ耐えて待っていたと、苦しそうに声を押さえて言っていた人が、目の前で毒を飲む前に、もう東京の方で弁護士を用意していたなんて。こちらが弁護士を立てると言ったら「まああ」と言って驚いた人がですよ。
手切れ金は、もう気絶しそうなくらい多額な金額で、お父さんはあれで命が縮んだんだと思います。昭和三十四年で五千万円と言って来たんですから。
昭和三十四年で五千万円
さあこれが今でいえばどれくらいなのか、ということなんだが、色々と調べてみると、この時期、大卒初任給が二万円程度だったらしい。だから10倍ですかね。
そうすると、このときの五千万は今の五億ということになるよ。へー。
富小路公子は20代前半にして五億円をつかんだということですか。

これなんだ。この、五億を出せるという経済力を、富小路公子は同棲する前から知っていたんだろうか?
話をしているうちに、そういうバックがあることを知って渡瀬義雄に近づいていったんですかね・・・?

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。
尾藤家に出入りしていた。
貰いっ子である嘘をついていた。
小学生のとき。
1951年 14歳 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 中学三年のとき。
1952年3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年春頃 15歳 昼間、働きに出る。  
1952年6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
 
1952年秋頃 15歳 日本橋の中華料理屋で働いている。
渡瀬義雄と出会う。
沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年12月 16歳 渡瀬義雄との同棲がはじまる。
簿記二級の試験。合格。
 
1953年4月 16歳 渡瀬義雄との婚姻届を出す。  
1954年年明け頃 17歳   渡瀬義雄がアパートから出て行く。
1954年夏頃 17歳 長男義彦を産む。 部屋の名札は「渡瀬公子」(渡瀬義雄)。
1957年春頃 20歳 尾藤家に再び出入りし始める。
宝石買取など。
エメラルドと翡翠が返ってこなかった。
1959年 23歳 渡瀬家に乗り込み、狂言で服毒自殺を図る。
手切れ金として五千万円を得る。
渡瀬義雄と協議離婚。
36歳頃? 尾藤家跡地にドリーム・ハイツが建つ。 土地は沢山不動産が買う。
38歳頃? 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。  
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 死亡。 夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。
昼なのにイヴニング・ドレスを着ていた。