その二 丸井牧子の話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
20 小学校でも中学でも鈴木君子って名前でした。ええ、字も違うんですよね。姓名判断か何かで変えたんじゃないですか? 鈴木君子って名前でした
丸井牧子は富小路公子の同級生。富小路公子が鈴木君子という名前であったことがはっきりと語られている。
21 「何も心配することないわよ。そりゃ素敵だったんだから。私と同じ歳には見えないよ。十も若いかと思った 十も若いかと思った
あとあとまで出てくる表現というか、富小路公子の特徴。40歳なのに30歳にしか見えない、ということ。・・・なんてありえるんだろうか?
22 「そんなこと言ってやしないよ。さっきテレビに出てた人、うちの隣にいたのよ、学校も同級生だったのよ」
「隣って、薬局かい?」
「ううん、反対側。今はスーパーになっちゃってるけど、前は八百屋だったの」
「八百屋?」
「そうよ。あの人、八百屋の娘だったのよ。八百政っていってね。でも、貰いっ子だったのよ」
「なんだ、それは」
「内緒だけどって、君ちゃんが私に打ちあけたことがあるわ。
八百政
鈴木君子は八百屋の娘だった。

貰いっ子
鈴木君子の最初の嘘。
よく親の耳に入らなかったもんだ。
ただ疑問なのは、この嘘によるメリットってあるのかなあということ。自分が実は華族出身なんだってことを小さなときから自分の伏線にして、何のメリットがあるのかってことだ。

23 あんな心の優しい、いい人って、私は今日までに出会ったことはないねえ。算盤塾にも一緒に通ったしねえ。
ええ、算盤塾が、青山の方にあったんです。終戦直後でも続いてました。この辺は東京では珍しく焼け残ったところでしたから。
算盤塾にも一緒に通った
この丸井牧子の話にだけ出てくるエピソード。
連載形式だったから、何か伏線にしようとしてたのだろうか。
25 ええ、乃木坂から降りてきて、角にある大きなマンション、赤坂ドリーム・ハイツ。あれ、尾藤さんが建てたんでしょ?あら、違うの?だって、尾藤さんて大きな家があって、あすこの子も同級生だったけど、小学校だけで、中学から学習院へ行っちゃった。尾藤雪子っていってね、今でも、あのマンションにいるわよ。うん、今は結婚して、浅井って苗字になってるけど。ほんと、昔はねえ、あのマンションのとこに石垣の高い塀のある立派な家があったんだ。変わったわねえ。 赤坂ドリーム・ハイツ
尾藤家がなくなったあと、マンションが建ったことがわかる。
八百政がどこにあったのか定かではないが、青山の算盤塾に通い、乃木坂の尾藤家に出入りしていたとなれば、結構いいところにいたのだろう。

尾藤雪子
その三 浅井雪子の話」の人のこと。

26 私はまあ焼き餅も手伝っていたのかもしれないね。だって君ちゃんが、尾藤さんちによく出入りしていたからさあ。
「あんな家にどうして行くのよ、君ちゃん。私はあの子、大っ嫌い」
「でもねえ、雪子さんのお母さんが、私のこと好きらしいの。私も、雪子さんのお母さん見ていると、私の本当のお母さんはこういう人じゃなかったかと思うのよ。育ててくれた親には悪いけど、やっぱり血はつながっていないし、牧ちゃんには分らないかもしれないけど、貰いっ子って淋しいものよ。あの家にいると、ほっとするの。豊かな気持になるのよ」
尾藤さんちによく出入りしていた
これもはっきりしないが、八百政をたたむ以前から尾藤家に出入りしていたということだろうか。
そういう記述はほかに見当たらなかった。出入りの八百屋ということでは「その二十五 尾藤輝彦の話」にある。
もし計算として近づいたのだとしたら・・・という推測もできる。宝石、華族、という鈴木君子にないものに対して近づいていったのだとしたら、おそろしい小学生だ。

血はつながっていないし
こんなに自然に言ってるのを見ると、本当にそう思い込んでいたのか?とさえ思えてくる。

28 だってね、戦争が終わったとき小学校の三年だったけど、 戦争が終わったとき小学校の三年だった
小学三年生ということは、8歳から9歳にかけて、ということ。終戦が1945年(昭和二十年)だから、昭和十一年生まれだということがはっきりわかる。
30 君ちゃんは、大きなバラの花束を両手で抱えて店に入って来ると、
「(中略)これ、牧ちゃんにあげようと思って、一つ一つ私が手で造っては束ねていたの」
そう言われて受取るまで、私は、本物の花だとばっかり思ってた。よく見て驚いたんです。だって、匂いまでついてるんだけど、花も葉っぱも造花なんだもん。あそこに飾ってあるの、それですよ。あれからもう三年もたっているから、色が褪せて、匂いもなくなってるけど、あれ、あの人の贈りものなんです。
造花
その十 林梨江の話」「その十三 菅原ふみの話」「その二十七 次男義輝の話」などに出てくる。弁護士も言ってたな。
この造花に関するエピソード一連もなんだかはっきりしない。まあとにかく、ここでは、はっきり造花なんだが匂いとかついてて本物そっくりであったということと、あと富小路公子が「自分で作った」と言っていることに注目。
これも嘘なのだろうことは後でわかる。

あれからもう三年もたっているから
連載時が現在として、三年前に富小路公子が丸井牧子を訪問。そのさらに前にテレビに出ているということになる。

32 「青山の、ほら、乃木坂上ってって、一丁目の先に算盤塾があったでしょう。あそこへ一緒に通ったじゃない。私は嫌々だったけど、君子さんは面白い、面白いって言って、小学生の頃からさあ」
「それ、誰か別の人じゃない?だって私、算盤ならったことないわよ
算盤ならったことないわよ
嘘をつく理由がいまいちはっきりしない。
あるいは、富小路公子は嘘をつく、という意識をしてないってことに持って行きたいんだろうかね。
32 中学三年のとき、八百政のおじさん、進駐軍のジープにはねられて死んじゃったの。そいで、八百屋たたんで、しばらく尾藤さんちにおばさんと二人で居候してたんだ。 進駐軍のジープにはねられて
鈴木君子の父が死んで、尾藤家に入ることになるわけだが、このへんは次の「その三 浅井雪子の話」に詳しい。

丸井牧子の話は、重要な証言ばかり、というわけではないが、尾藤家に行くことになった背景を説明していること、それから造花についてのエピソードなどが重要と思われる(でも、その造花のエピソード自体がはっきりしてないけど)。
ただ、算盤塾の話はどう広げる予定だったのかなあと不思議に思う。

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
丸井牧子とともに、算盤塾に通っていた。
尾藤家に出入りしていた。
貰いっ子である嘘をついていた。
小学生のとき。
1951年? 14歳? 鈴木君子の父が死亡。八百政をたたんで尾藤家に移る。 中学三年のとき。
1952年?3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年?6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
尾藤家に住んでいる。
沢山栄次と知り合っている。
1952年?秋頃 15歳   沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年?12月 16歳 簿記二級の試験。合格。  
38歳頃? 丸井牧子を訪問。バラの造花をプレゼント。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。  
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 死亡。 夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。