その一 早川松夫の話

ポイントとなる証言

ページ(文庫) 証言 解説
5 そうですね、焼野原だった東京にも、ぼちぼち建物がたち始めていましたから、ようやく戦後の混乱からぬけ出たころでしたか。朝鮮戦争も終わりかけていた年ぐらいですか。僕は学生で、田舎からの送金で、まあなんとか下宿代も学費もどうにかなった時代ですよ。かれこれ二十五年も前になりますか。 焼野原だった東京
終戦記念日は1945年(昭和二十年)8月15日。ポツダム宣言受諾(無条件降伏)が1945年(昭和二十年)9月2日。

朝鮮戦争も終わりかけ
朝鮮戦争(1950年6月25日-1953年7月27日)

二十五年も前
連載スタート時(1978年3月)の二十五年前となると、1953年3月。朝鮮戦争が終りかけていた、という記述と一致する。おそらく1952年の頃だと思われるが、この段階では特定できない。

5 神田神保町にある簿記の学校に通ってたんです。ええ、今でもありますね、大きな学校ですから御存知でしょう。 神田神保町にある簿記の学校
てっきり大原簿記学校のことかと思っていたけど、設立が1957年らしいので違う?
村田簿記学校か。設立が1909年。ここ(リンク先404)を見ると、戦争による校舎の焼失から復興したとある。(参考
10 三級の試験があったのは、雨の多い六月でした。 1952年(昭和二十七年)の6月か?
13 乃木坂の下に、あの一角は焼け残っていたんですが、大きな屋敷が建っていました。
その前まで来て、
「早川さん、今夜は本当に有りがとう存じました。晩うございますので父や母が御挨拶するのは別の機会にさせて頂きますけれど、話せばきっと感謝すると思いますわ。

(中略)

彼女は勝手口というのか通用門というのか、その小さな扉に手をかけてから、
「ごきげんよう。おやすみなさいませ」
と、実に行儀よく両足を揃えて頭を下げ、中へ入って行ってしまったんです。

乃木坂
このへん。246の南に平行して走ってる赤坂通り。近くに六本木、赤坂。六本木ヒルズも近くにあるところ。一等地。家賃は高いんでしょうなあ。

父や母が御挨拶するのは
この時点で、鈴木君子の父は死んでいる。

勝手口というのか通用門というのか
尾藤家。「その七 大内三郎の話」にも出てくる。

14 三級をパスしたのは、僕と彼女と、意外にもラーメン屋の親爺と、

(中略)

今では東京だけでも七つ八つのレストランを経営している沢山栄次っていう人です。不動産会社の方も、相当の規模でやっていて

ラーメン屋の親爺
沢山栄次っていう人
その九 沢山栄次の話」参照。序盤の重要人物。
15 それでもしかし、三ヵ月で二級をマスターするのは無理でした。彼女も六ヵ月かかりました。沢山栄次って人は三ヵ月前に落伍して、秋にはもう姿を見せませんでした。貸借対照表などが一目で分るようになる頃、僕も彼女も二級試験に合格しました。十二月になっていました。 1952年(昭和二十七年)の12月か。そうであれば、富小路公子は15歳から16歳になったころ。9月頃には沢山栄次は来なくなった。

貸借対照表
たいしゃくたいしょうひょう と読む。Wikipediaによると、財務諸表の一つでバランスシートとも呼ばれるとのこと。さっぱりわかりません・・・

17 鈴木さんとの付き合いといっても九ヵ月だけだったんですよ。当時、僕は大学三年でした。 21歳の男が16歳の女に惚れる、というのはありえなくもない話だとは思うが・・・それにしても二十五年も前の九ヵ月間のことをよく覚えてられるもんだ。
18 ええ、それから四、五日して会社から電話がかかって来ました。まぎれもなく、あの声です。
「早川さん、お懐しゅうございます。覚えていて下さったのね。私も忘れたことがなかったわ。お食事差上げたいと思いますけど、来週の御予定はいかが?」
電話でしたから、僕も落着いて応対しました。食事の約束もしたんです。その電話が金曜日でした。その晩は興奮して眠れませんでしたよ。星空のことも、捨て犬のことも、昨日のように思い出しましてね。
その翌日が土曜日で、家に帰って夕刊をひろげて息が止まりました。「虚飾の女王、謎の死」と社会面に大きく出ていたじゃありあませんか。
富小路公子と早川が再会して四、五日後に

電話、食事の約束。これが金曜日

翌日土曜日に死亡。夕刊にはその記事が出た。

というところまで、ここでは得られる。

富小路公子は年齢を詐称しているわけで、普通ならば過去を知っている人は近づかないようにするものだと思うが、そういうそぶりは見られない(次の「その二 丸井牧子の話」でもそうだ)。
二十五年ぶりにちらっと見かけた人を記憶していて、何も考えず近づき、食事の約束をして・・・という行動は、ちょっと謎だ。
これを天真爛漫ととるのか、あるいは、どうとでも取れるような設定にしておいてスタートしたのか、なんだが・・・

ここまでの富小路公子
※富小路公子の誕生日を1936年10月8日で確定し、死亡日を1977年10月8日と仮定しています。

時期 年齢 出来事 備考
1952年?3月 15歳 簿記学校の夜学に現れる。  
1952年?6月 15歳 簿記三級の試験。合格。
早川松夫に送ってもらう。
尾藤家に住んでいる。
沢山栄次と知り合っている。
1952年?秋頃 15歳   沢山栄次は簿記学校に現れなくなった。
1952年?12月 16歳 簿記二級の試験。合格。  
1977年10月 40歳 早川松夫と再会する。  
1977年10月7日
(金曜日)
40歳 早川松夫と電話。食事の約束をする。  
1977年10月8日
(土曜日)
41歳 死亡。 夕刊に「虚飾の女王、謎の死」。